第3回正論新風賞受賞のエッセイ集。
前半は「難邪悶邪苦捨苦捨」と題された時評コラム、後半は「昭和おもちゃ箱」と題された戦後の日本を象徴するキーワードに関するコラムである。
一読、何か表層的であるように感じた。時代の先端を走ってきた著者が、その時代についていけず、それでもなにか自分の生きてきた時代とのつながりを求めようとあがいているように読めた。
私は、同様のコンセプトで書かれた小林信彦のエッセイ、「人生は五十から」や「現代〈死語〉ノート」と比較したくなってしまう。スタンスの違いを感じるからだ。小林信彦は現代という時代についていこうとしない。自分に関心のある言葉しかとりあげない。あがくこともない。ただ、冷静な目で現代を見据える。それに対し、著者が作詞した「時代おくれ」という歌も、時代の先端をいくつもりで作詞したりしている。時代からずれてしまいつつある自分を理解しているのだが、まだ認めたくない気持ちが残っているように感じられる。
淡路島から東京に出て、地に足のつかない「都会人」になろうとした著者と、和菓子屋に産まれ育った生っ粋の「東京人」との違いなのだろうか。よく考えてみたら、東京には著者のような人間の方が圧倒的に多いのである。
なにか表面をなぞってみせたような印象の残る本書は、まさに戦後の「都会人」を表しているように思える。タイトルには「おもちゃ箱」とあるが、その箱に入っているのは、カタログの写真であるような、そんな感じがした。
(2003年2月21日読了)