富田勢源より剣法を習得した孤児、佐々木小次郎は、愛する女性、兎禰を捨ててまでして、故郷越前を去り大坂へ出る。兎禰の許嫁であったが、小次郎との仲を許してくれた親友伊之瀬東馬との縁で、安芸国福島正則の家老に見こまれた小次郎は、大坂城の威容に触れ、自分の小ささを思い知る。阿国かぶきの舞い手、まんを愛した彼は、彼女を連れて逃亡する。熊野の海賊那智丸にとらわれた彼らは、熊野の山中に囚われの身となる。まんの踊りから阿国かぶきの型を盗み取った小次郎は、山中で秘剣つばめ返しを編み出すが、彼の心から剣術と兎禰を消し去ることができないと知ったまんは秘剣完成直後、自殺してしまう。傷心の小次郎は、那智丸のもとを去り、元忍者の島兵衛とともに堺へ。琉球育ちの商人南屋十兵衛の世話になる小次郎は、堺で新たな世界を知ることになる。堺で彼が巻きこまれた陰謀とは……。
戦後再開された朝日新聞夕刊の連載小説第1号だそうである。戦時中に信じていたものが戦後に裏切られた人々の心を反映するかのように、ここでの小次郎は剣の道を極めることにより自分を磨きあげることに懐疑的である。また、自分の実力と世間の評価の落差に悩んだり、自らが意識せぬままに社会の動きにからめとられていったりするところなど、いつの時代にも変わらぬ青年の苦悩を体現している。
そういう意味では、吉川英治版「宮本武蔵」の求道者ぶりと一線を画そうとした作者の意図がはっきりと現れているといえるだろう。そして、あくまで道徳的な吉川「宮本武蔵」に対し、若者の悩みをストレートに描いている分だけ今の読者に訴えるものは大きいのではないか。このナイーブな小次郎がいかにして宮本武蔵と対決するに至るか、下巻が楽しみである。
(2003年2月22日読了)