新免家家老平田武仁の息子、弁之助は、13歳で兵法者有馬喜兵衛を倒し、村にやってきた山賊にも、幼なじみの弥蔵、お千とともに立ち向かう。お千と将来を誓いあい、回国修業に出た弁之助は、名も宮本武蔵と改め、播州の祐恵法師のもとに寄寓し、剣の腕を磨く。出石の秋山小兵衛を倒し、三陽一の剣客として知られるようになった武蔵は、高野聖の斉源とともに京へ向かう。吉岡流の寺沢甚七郎を破った武蔵は、新免家の手兵として関ヶ原の戦いに参加するが、西軍が敗れたために落武者狩りの手を逃れながら故郷に戻る。しかし、東軍池田家が宇喜多の残党を追い、お千と再び別れて小倉藩細川家のもとへ。落武者狩りが終わってから再び修業の旅に出た武蔵だったが、途中で立ち寄った故郷でお千の病死を知る。自分もお千のもとに行きたいと、死を覚悟して戦いつづける武蔵がたどりついた境地とは。
剣豪小説の大家が満を持して取り組んだ作品だけに、ここでの武蔵は武芸の「芸」の部分を重んじる剣客として描かれている。さらに他の武蔵像と趣を異にするのは、幼なじみのお千の存在である。若くして死んでしまったお千への愛情、さらには父への敬慕、故郷への思い入れなど、ここでの武蔵は常に自分を育てたものを捨て去ることはない。祐恵法師の寺を本拠地に道場を開き門弟を育てるなど、孤独の影は一切ない。剣の道を極めようという姿勢は他の作家と共通するものがあるのだが、モチベーションが違うのである。
武蔵は妻帯はしないが、暴力的に女体をむさぼることもしない。若くして死んだ許嫁への愛に殉じているのだ。したがって、津本版武蔵はおおらかであり、かつ内省的である。そういう意味では柳生新陰流の「活人剣」と同じものを追求しているという感じがする。本書における武蔵は、許嫁の死によって、生死を超えた境地で戦い続ける武芸者なのである。
(2003年3月2日読了)