集英社新書のホームページ上に掲載された公開往復書簡の書籍化。
全共闘世代の笠井と団塊ジュニア世代の東が、9・11テロ後の世界をめぐり、その世界観を闘わせる。湾岸戦争では反戦声明を出した文学者たちがなぜ9・11テロとそれに続くアフガン攻撃の際には声明を出すことすらできなくなったのか。闘う対象を見失った全共闘世代である笠井と、あくまでもポストモダンにこだわる東の論点が噛み合わず、途中で対話が打ち切られかけるところまでいきかける。
正直なところ、団塊の世代である笠井潔と飽食の時代に育った東の世界認識に温度差があるのは当然で、話が噛み合わないことを前提にした組み合わせなのではないかと思う。私は東よりも一世代上にあたる「新人類」世代なわけだが、高度経済成長期に幼少時を送ったものとして、団塊の世代の妙な競争意識はちょっと理解しかねるところがある。また、オタク文化が作られていく過程にちょうど青春期を送ったものとして、既にあったものを消費する形でサブカルチャーを受容していった東の世代にも微妙な温度差を感じる。
そういう立場で読み進めていけば、あくまで経験したことを土台に話を進めていこうとする笠井に対し、東が自分が経験してない事に対しては拝聴するしかないから現在という状況についてのみ話をしたいという、その時点でここから何かが生まれる可能性は低いのではないかと感じたのである。
最終的にはお互いの違いを確認しあうような形でこの往復書簡は決着を見る。実は、対話というのはお互いの違いを確認しあうために行われるものだと私は考えているので、世代間格差というものがどのように浮き彫りにされたかという、その点を確認できただけでも大きな収穫があったのではないかと思う。また、書き言葉によるコミュニケーションの難しさを再確認できたことも収穫の一つだろう。
テクストを読み、自分の内言語に翻訳し、それをもとに考えたことをまた翻訳して書き連ねる。このやりとりでは、直接顔を合わせて内容を軌道修正しながら言葉を選んでいく話し言葉による対話では発見し得ないものが見つかるのである。
(2003年4月26日読了)