テレビ、パンチカード、火葬炉、ラジオと定時放送。いずれも第二次大戦前に発明され、人間の大衆化を促進したものである。テレビは当初テレビ電話の機能を目的に開発されようとしていたのだが、ナチスドイツはベルリンオリンピック、そして党大会の中継を行い、大衆操作の道具にしようとした。パンチカードは統計を迅速に処理するために開発されたが、人間を数字で示すものとなり、ナチスは国民の中のユダヤ人を特定するために使用した。火葬炉は遺灰を共同墓地にまいて墓からも個人というものを消し去るために使われようとしていたが、これは計画のみにとどまった。ラジオは最初は受信機と送信機を兼ね備えたマニア向けのものだったのだが、安価な受信機の発売と定時放送の開始により、一方的な発信装置となり、受け手はまさに受動的に情報を与えられるようになった。
著者は、ここではあくまでナチスを中心とする戦前の事象のみを扱っている。しかし、これらの歴史的事実が現在にも重なっていることを示唆することは忘れない。個人というものの顔が見えなくなり、権力者が人間を単なる数値として扱うことの恐ろしさが、ここでは示されている。
権力者は管理をしたがるものである。1本の迷惑メールを取り締まる法律が、やがてごく普通に発信される個人の意見を封殺するのではないかという可能性を誰が否定できるだろうか。住基ネットワークが個人そのものの個性を失わせ、人間を数値化してしまう可能性を秘めたものだということも。
歴史がそれを教えてくれる。多数の図版や資料で裏書きされた本書は、その歴史を教えてくれる。私たちが本書から学ぶべきことはあまりにも多い。
(2003年6月24日読了)