右手の人差し指を相手に向けて念じるだけでその命を奪うことのできる路子。彼女は20歳になったらそ力で両親を殺すことを心に決めていた。ところが、母の日出子が脳梗塞で倒れてしまい、入院する。明日の生死をもしれない母に、路子は「死なないで」と願う。自分が殺す前に母に死なれてもらっては困るのだ。脳外科医の鷺森は、患者と家族のことを思って治療する優れた医師だが、その優等生的発言に路子は反発する。仕事優先人間である父の肇は、仕事のことなど忘れたかのように看病をするが、路子にはそれが偽善的なポーズだとわかっている。ユーイング肉腫で入院中の少女、彩乃と知り合った路子は、彼女の口から「楽にして」という言葉が出ることを待っている。母親のために痛みを耐え忍ぶ彩乃の本音を聞きたいのだ。ある日、下宿に戻った彼女を連続暴行犯が襲う。指の力で犯人を殺した路子だが、自分にはないと思っていた生への執着が心にわいてきたことに当惑する。路子は母を、そして父を、また少女を殺すことができるのだろうか。
超能力テーマ、といっていいのだろうか。主人公の超能力が発揮される場面はある。しかし、それは彼女を孤独に追い込む力でも、その力ゆえに身を滅ぼす原因でもない。その超能力を使う機会を待っている女性が、人が死病と闘う姿に接することにより、超能力を行使すべきかどうか悩み苦しむ姿を描いたものなのだ。
本書で描かれる「命の重み」はうすっぺらいヒューマニズムではない。生物が持っている自己保存の本能をいろいろな視点から描くことにより、真の「命の重み」を探り当てようとする試みなのだ。
それにしても、作者の「小説」のうまさには正直舌をまく。押す場面、引く場面、揺れる場面、安定した場面、その配列とバランスが非常によい。ここでの超能力の用い方は必ずしもSF的なものではないかもしれない。しかし、指先ひとつで命を奪うことのできる人間がその力を行使するかどうかというただそれだけのアイデアを、ここまでふくらませられる作者の小説のうまさは、もうSFかどうという論議を虚しくさせるのみである。私は作者に「SF界の浅田次郎になって」と激励したことがあるが、今こうやって第2作を読むと、将来直木賞候補に挙がることがあるのでは、という気がするのである。
(2003年6月27日読了)