深夜放送枠の低予算ドキュメンタリー番組を作ることになった著者は、長くあたためてきた「放送禁止歌」とそれを歌った歌手の現在にスポットをあて、放送を禁止する決定はどこでなされるか、なぜ「竹田の子守歌」や「手紙」が放送禁止になったのかを取材していく。驚いたことに、「放送禁止歌」は現在では全く無効になっていること、ゴタゴタを嫌うテレビ制作者が勝手に「自主規制」をしていることなどが明らかになってくる。番組が放送された後、反響はあったけれども、抗議は一件もなかった。著者は番組が放送された後、「竹田の子守歌」の生まれた京都の被差別部落をたずね、「放送禁止歌」の根底にあるものを探していく。
「A」などのドキュメンタリー映画で知られる著者が、「自主規制」に隠された差別の構造をえぐり出していく。著者は決して安っぽい正義感をふりまわしたりはしない。自らの手で表現の自由を放棄していくテレビ局に対するやるせない思いを地道な取材をもとに明らかにしていくだけなのである。
著者は岡林信康に会ってその話を聞こうと執念を燃やすが、ついに会えずに終る。岡林がそのような態度をとらざるを得ないというところに、問題の根源はある。また、著者は部落解放同盟の人々ともじっくりと話をし、テレビ局員の現実と向き合おうとしない安易な「自主規制」に問題があるという認識を持つようになっていく。
表現の自由、そして差別意識などを「放送禁止歌」をてがかりとして改めて考えさせてくれる好著である。言葉狩りなどにもつながる行き過ぎた「配慮」の抱える問題をここまで突き詰めた本はそう多くはないだろう。
(2003年7月11日読了)