日本の野球は、ボールカウントをコールする時は必ずストライクを先に言う。例えば「ツーストライク、スリーボール」というように。しかし、こういうカウントをするのは実は日本だけで、野球発祥の地アメリカでも国際大会でも必ずボールを先にカウントするのだ。「スリーボール・ツーストライク」というように。日本人のプレーヤーがアメリカで活躍しその中継が日本でも常に見られるようになった現在でも、それは変化していない。いったい日本だけどうして逆のカウント・コールをするのか。著者はその謎をとくために、アメリカで野球が考案されて以来のルールの変化の歴史をたどり、明治時代の日本で野球がどのように受容されてきたかを調べる。
著者の推論では、西洋の文物を取り入れていく時、日本人は必ずといっていいほど少しアレンジを加えているが、カウント・コールもその一つの例だ、となる。具体例としてパンを受容する時に登場した「アンパン」や洋風建築の上に瓦屋根などを配した設計などが挙げられる。どんなものも日本流にアレンジすることにより「これは西洋のものをそのまま受け入れているのでなく、日本の文化にとりこんでいるのだ」ということを示したのではないかというのが、著者の考えである。
論の立て方に強引なところがありすんなりと首肯はできないが、それでも異文化を自国の風土に取り入れていく過程をきっちりと書いてあるので、それなりに説得力はある。異文化は異文化である。そのまま受け入れることは、自国の文化を否定することにもつながりかねない。自国の文化を守りながら異文化を生活の中に定着させていく、そのための仕組みは必要なのである。
ルールが未整備なスポーツが洗練されていく様子、それをほかの文化圏の国がなんとか受け入れていく様子、どちらがメインとなるかがわかりにくいという難点はあるが、多文化理解ということを考えていく上でいろいろと参考になる一冊なのである。
(2003年7月25日読了)