閉ざされた空間に作られた都市。その都市の秩序を保つのは徹底した階層社会。というと、眉村卓あたりの社会派SFを連想する人もいるだろう。しかし、本書の作者は田中啓文である。支配階層である〈聖職者〉には性器がなく、子どもをつくるのは性器のみが発達した〈雌雄者〉である。子どもを育てる〈保育者〉は三対の乳房を持ち、作物を育て取り入れる者は三対の手足を有する〈耕作者〉、治安を守る〈警防者〉には鋭い嘴と爪がある。さらに脳だけ肥大した研究者である〈修学者〉……。神〈スサノオ〉によって産み出されたフリークスがそれぞれの階層で都市を守る。特化していない者は〈普遍者〉と呼ばれ、最下層の身分とされている。
この設定だけでわくわくしない人がいたとしたら、その人はSFファンではない、と断言してしまおう。物語は、〈修学者〉に生まれ〈聖職者〉として育った主人公が、悪魔崇拝者たちの会合を取り締まったその場で出生した〈普遍者〉の子どもを〈保育者〉に預け、そこで出会った〈修学者〉からこの世界を律するルールに対する疑念を示唆されるところから動きだし、秩序に従おうとする心とこの世界の隠された秘密を知りたいという欲求の葛藤を経て、ついに真相にたどりつくまでを描く。その葛藤、真相、複雑な人間関係は、一点に収斂していく。作者のその手並みたるや見事なもの。
読み始めたら一気に読まずにはいられない面白さではあるが、私は本書を読了した後、本書が作者のデビュー直後に書いていたヤングアダルト作品でただよわせていた匂いを感じていた。そして、その余韻にひたっていた。本書では、人間の悪意、虚無感、猥雑性、幼児的なものがごった煮のように詰めこまれている。小さい子どもが不思議な姿形をした怪獣に熱中するように、怪獣が町を破壊する様子にカタルシスを感じるように。それこそ、作者がデビュー以来ずっと追い続けてきたものではなかったか。
本書ではまた、作者独特の言語感覚、言葉遊びの楽しさも味わうことができる。駄洒落すれすれの寸止め……いや、もうこれは駄洒落を超えた言語遊戯かもしれない。
汚物や猥褻なものを嫌う潔癖な人たちには、本書は受け入れられないかもしれない。しかし考えても見てほしい。人間、いや生き物、いや、この世界全てを律する現象は全てがそういったもので満たされているのではないか。作者の小児的なまでの汚物指向を嫌悪してはならない。そこにこそ、生けとし生きるものの真実が現れているのだ。
さあ、ここまで拙文を読んだあなたなら、もうおわかりだろう。本書を読まずして田中啓文を語るなかれ。ここには彼のエッセンスがたっぷり詰めこまれているのだから。
(2003年7月26日読了)
(本稿はネット書店サイト「bk1」に掲載されたものをそのまま使用しております)