渡邉恒雄。人呼んで〈ナベツネ〉。一千万部を誇る讀賣新聞社のトップにして、中曽根内閣のブレーン。プロ野球のコミッショナーに脅しをかけ、横綱審議委員として角界にも影響力を持つ。その権力闘争の原点は、東大時代に在籍した共産党組織での主導権争いであった。ここでは権力闘争に敗れたものの、権力をつかんで人をひれふさせるノウハウを学ぶ。讀賣新聞入社後は、最初は週刊誌に配属されて新聞本社の記者から見下されるが、命がけで入稿した共産党の山村工作隊へのインタビュー記事をきっかけに注目を浴び、政治部に。ここで自民党の大物、大野伴睦と急接近し、秘書以上の信頼をかちうる。大野を通じ、右翼の大物児玉誉士夫や自民党の幹部河野一郎、そし将来の総理と目される中曽根康弘と密着するようになる。社会部の記者が中心であった讀賣新聞社も、渡邉が論説委員になり、社長の務台光雄の信頼を勝ち得るころから逆転し始める。務台の死後、ライバルを次々と蹴落とした渡邉は、その権力で彼に楯突くものを次々と排除していく。大阪讀賣新聞社会部の黒田清もまたその一人である。かくして〈ナベツネ〉はマスメディア全体を左右する権力者への道を登り続けていくのだ。
プロ野球のコミッショナーよりも強い権限を持つかに見える〈ナベツネ〉なる人物が、なぜこんなに偉そうにしていられるのか。かねてより疑問は抱いていた。中曽根のブレーンであったことや黒田清さんを大阪讀賣から追放したというような断片的な知識は持ってはいた。か、ここまで権力の亡者であるとは知らなかった。母親の希望していた学校に入学できなかったことや、勉強して主席になって級長に選ばれながら担任が他の生徒を級長にさせたいがために辞退させられたなど、彼の負ったトラウマは、権力を取るということによってしか癒されなかったのか。いや、それでも癒されておらず、さらに権力を強めようとしているのだろう。
ここで明らかにされるのは、〈ナベツネ〉の醜さだけではない。讀賣新聞社全体を覆う権力闘争の激しさであり、読者を無視した恣意的な報道のあり方である。著者はもと共同通信の記者であるが、どこの新聞社でも大なり小なりこういった権力闘争はあるらしい。と、すれば、本書は単に権力欲にとりつかれた男の生き方を描いたものというだけではなく、日本の新聞の抱える問題点をえぐり出したものだといえるだろう。
何かの世界でトップをとった人物の評伝には、嫌なところもあればそれに勝る魅力も描かれる。しかし、本書を読んで感じるのは渡邉恒雄という人物への嫌悪感だけである。このような人物がマスコミやスポーツ、いや政治までに影響をおよぼしているというだけで暗然たる気持ちにならざるを得ない。本人への長時間インタビューも含めた綿密な取材を再構築した力作である。
巻末の玉木正之との対談も現代日本の病巣をきっちり指摘したもので、興味深い。
(2003年8月18日読了)