2009年、東京は熱帯と化していた。
この物語は、秩序をなくした東京に現れた3人の少年少女たちの尋常ならざる戦いを描いたものである。小笠原の無人島で野生のヤギとともに育った少女ヒツジコは名門の女子高等学校で、踊ることによって上辺だけの秩序を破壊し自分たちの新しいルールを確立していく。在日アラブ人の鴉を操るレニは、地下に町を広げる不法占拠者たちに対し、自ら撮影した映画を武器に単身戦いを挑む。そして、ヒツジコとともに無人島で育ったトウタは、東京で独自の生き方をしている人々と出会い、その生き方に共感し、ついにはレニの戦いに加わっていく。
この物語は、大人のための寓話である。主人公たちは欺瞞に満ちた〈言葉〉は持たない。〈踊り〉や〈映画〉が欺瞞を引き剥がし、真実をあらわにする。
この物語は、新たに生み出された伝説である。一度崩壊した秩序に対し、次の世代が全く別種の秩序を生み出していくさまが描かれる。主人公たちは新しい秩序の王となる。
作者はこれまでの作品で、〈言葉〉を突き詰め、そして否定した。音楽のリズムを突き詰めようとしたこともあった。しかし、本書ではその音楽ですら否定する。トウタにはどのようなすばらしい音楽もただの雑音としか感知できないのだ。そして、一度可能性として示唆した〈映像〉の力を本書では突き詰めようとする。レニはビデオカメラを「写真銃」と呼ぶ。ここでは〈映像〉は何にも勝る武器として使用される。
この物語では様々な少女たちが……どこかまわりとはずれていると自覚している、しかしピュアな少女たちが、ヒツジコという触媒を経て次々と開花していく。彼女たちが続々とヒツジコのまわりに集まっていく様子は、革命の英雄のもとに優秀なシンパたちが結集するようにも見える。その展開のスリリングさと、そして、この少女たちの魅力的なことといったら!
この物語では、現代に対する絶望が悪意をこめて描かれる。少年少女たちはそれに対する希望のようにも思えるが、現実の少年少女は閉息感に息がつまり、とてもトウタやヒツジコやレニのような武器を持つことはできない。主人公たちに希望を見つけるほどに、現実の絶望は深くなる。主人公たちはこれまでのSFでいえば超能力を持った新人類だろう。ただし、彼らの超能力は誰もが持つ力を特化したもので、そこに作者のメッセージが込められていると、私は見たい。
この物語は常夏の都市になった東京が舞台である。熱帯性のウイルスが蔓延し、人々が脱出しようとする中で、主人公たちは踏みとどまる。そう、我々は現状から目をそむけてはいけないのだ。この物語の少年少女のように。
(2003年9月8日読了)
(本稿はネット書店サイト「bk1」に掲載されたものをそのまま使用しております)