読書感想文


目を擦る女
小林泰三著
ハヤカワ文庫JA
2003年9月15日第1刷
定価580円

 短編7本を収録。
 表題作「目を擦る女」は、隣の部屋に越してきた目を擦る癖のある女性とその妄言におびえる若妻のやりとりから現実が少しずつ崩壊していく話。「超限探偵Σ」では、どんな難事件もみごとに解決していく探偵の強烈で完璧な推理が描かれる。「脳喰い」に登場する宇宙人はつかまえた人間の脳だけを喰らっていく。その結末の虚しくも甘美なハッピーエンドが印象的。「空からの風が止む時」は「海を見る人」を連想させるハードSFで、風と重力の相関関係をファンタスティックに描写する力量は作者ならではのもの。「刻印」の異星人と主人公の恋愛は涙なくしては読めない、はずなのになにか普通の恋愛小説を茶化しているように思えるのは気のせいなのか。「未公開実験」のレトリックとタイムマシン理論はなんかほんとみたいでいんちきくさくてよいのだ。「予め決定されている明日」では仮想空間を算盤で計算するというアイデアもさることながら、その仮想空間で生きている女性に対する情容赦ない邪悪さが作者らしくてよろしい。
 本書では、量子論と仮想現実にかなり力を入れているという印象が残った。ここでの仮想現実は理想郷でもなんでもなくて、私たちが生きている現実の世界と同様なものなのだが、その仮想現実を作っている側はものすごく悲惨な状況であって、つまりここには理想というものに対する絶望が隠されてるのではないかなどと感じた次第。
 だからといって作者は決して現実を無批判に肯定してるわけではないのだ。というか、現実というものに意義を持たせているかどうかも疑問だ。
 というわけで、本書は現実というものに対する作者のスタンスがよくあらわれた短編集である。現実に絶望しているわけでもなく、しかし現実に安住する者に対しては思わず茶化してやらずにはいられない。さらに、現実を見ない者に対しては徹底的にいたぶらずにはいられない。そういうことである。

(2003年9月20日読了)


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