戦火を生き延びた3人の少年は、やがて大人になり、2人は死に、1人は老醜をさらしながらも生きている。2人が行った先は「ヘル」。そこでは生前の恨みも思いも消え、かつての自分を他人の目で見ることもできる。妻の不倫を見つけた男、歌舞伎役者、その他諸々の人々がここにやってくる。また、生きているものも夢の世界でここに来る。現実も夢ものみこんで、人々はここにいる……。
筒井版「地獄八景」か。静かに、老人の回想で始まるこの物語は、様々な登場人物を吐き出し、飲み込み、そしていずこかへ吸い込まれていく。老境の筒井康隆が、老境でなければ書かなかった物語か。おそらく全盛時の筒井ならばスラップスティックな部分を拡大し、大騒ぎのうちに物語ははじけていっただろう。しかし、本書の終幕の静けさは、筒井その人がそういう心境に至ったというしかない。
ただ、その終幕だけが私には不満といえば不満である。七五調の意味のありそうでなさそうな言葉の羅列が物語を破壊し、言語を破壊し、そのまま全てを破壊してほしいところだったのに、なにか予定調和的に、常識的に終ってしまうのだ。
それはこれが「文学」作品だからか。いや、そうではないだろう。作者にはそのようなジャンル分けは無用のもの。だったら、やはりこれは筒井康隆が老境にあるということなのだろう。そのことは寂しくもあるが、そこに至るまでの狂躁は筒井健在と感じさせるのだから、それでよしとすべきなのだろう。
(2003年11月16日読了)