世界中に多くのファンを持つディズニーの長編アニメーション。第1作の「白雪姫」にはじまり、「ピノキオ」、「シンデレラ」、「眠れる森の美女」、などディズニーの生前から古典童話を原作にしたものが多数作られた。そして、死後20年たち、新たな体制のもとで作られたものでも「リトル・マーメイド」、「美女と野獣」など古典に材を求めた作品は作り続けられている。しかし、ディズニーはこれらを原作通りにアニメ化したのではない。アメリカの観客に受け入れられるように独自の脚色を施し、テーマも結末も変えている。では、原作とアニメはどう違うのか。
本書は、その違いを比較した上で、脚色された時点での時代の流れ、ヒットの理由などを記したものである。全般にディズニーの脚色に好意的であり、アメリカ的文明に対しても特に批判の目は向けていないのが特徴である。著者はメディア論の研究者であるが、おそらくディズニーのファンなのであろうと推測される。
なによりも愛の力によって何もかも解決するという単純さに対するメスが入っていないところに、私は不満を感じてしまう。もっとも、著者がそういう単純な物語を好んでいるのであれば、私の不満などお門違いということになるのだろうが。
テーマをディズニー作品と原作の比較に絞ってしまっているために、文中で少しだけ触れられているフライシャー兄弟がディズニーに対抗して作った長編アニメなどタイトルすら触れられていない。したがって、当時のアメリカのアニメーション文化、現在、日本アニメが入ってきてディズニーがどう影響を受けているのか、いないのか、そこらあたりも全く無視してしまっている。
別にそれでもかまわないとは思うのだが、その分内容的にはかなり軽く浅いものとなってしまっている印象は避けられない。もっとも、読み進めていくうちに著者のアニメーションそのものに関する知識はあまり深くないらしいことが推察されはするのだけれど。
着眼点は悪くないが、これでは「本当は残酷なグリム童話・ディズニー編」でしかない。ディズニーを通したアメリカ文明論を期待したのだが、そこまで求めるべきではなかったのかもしれない。
(2003年11月25日読了)