豊前国、彦山の修験者を統べる佐々木一族の御曹子、佐々木小次郎は修業のために越前の国、一乘谷の剣豪、鐘巻自斎にあずけられていた。そこに訪れたのは京の吉岡清十郎の門弟で、たけぞうなる者が吉岡一門に挑戦してきたので助太刀を頼みにきたのだ。自らの腕を確かめるべく京に向かう小次郎。しかし、越前から京へと向かっている間に吉岡清十郎は重症をおい、弟の又七郎も殺されてしまう。吉岡道場におもむいた小次郎は、一乗寺下がり松の決闘でたけぞうの野性的な強さを思い知る。清十郎の妹、優衣を愛するようになった小次郎は、たけぞうの吉岡一門への最後の挑戦を優衣の助っ人として受けることになる。たけぞうの挑戦を退けた小次郎は、彦山の頭領を継ぐために豊前に帰る。そこに待ち受けていたのは、細川忠興の兵法指南に着任していた新免無二斎と、その養子で宮本武蔵と改名したたけぞうであった。細川氏が彦山を配下に置こうとする動きの中で、小次郎は否応もなく武蔵と対決しなければならなくなっていく……。
本書では小次郎は修験者の頭領を継ぐという立場にある。これが小次郎と武蔵の対決の理由ともなっていく。この工夫と、武蔵が無二斎の命令で動くのみの決闘マシーンのように描かれている点が、本書に独特の面白さを与えている。
ここでの小次郎は、師匠の教えを守って相手を一撃のもとに倒し、かつ殺しはしないという美学を持った剣豪として描き出される。そして、その美学ゆえに武蔵に敗れ去るのである。
これまでいろいろと武蔵対小次郎の物語は読んできたが、ここまで武蔵の人格を描写しない作品は初めてである。まさに決闘・殺人マシーンでしかないのだ。敵対者はあくまで新免無二斎であり、武蔵はその道具でしかない。吉川「武蔵」以来、小次郎は技の剣、武蔵は心の剣という図式が定着したが、作者はここではそれを完全に逆転させている。この武蔵を主人公にした小説も読んでみたいものである。
(2003年12月6日読了)