人間の五感のうち、どれか一つが極端に突出したらどうなるか。浅暮三文は、これまで嗅覚、視覚、聴覚などをとりあげ、みごとにその異常な世界を描くことに成功してきた。
本作で扱われているのは、触覚である。熱帯より運ばれてきた菌類により触覚が異様に敏感になった男が主人公である。彼はアトピー性皮膚炎に悩まされており、人や物との接触を極端に嫌っていた。しかし、触覚が発達した結果、触った物から意志が伝わり、それを確かめるためにありとあらゆる物に触れていく。
本書の読ませどころは、この触覚の描写である。道具が、使われることに喜びを感じている。主人公はその道具に触れることにより、その喜びを感じとる。様々な道具の意志が、細密に描写されていく。そして、主人公はその喜びを自分のものとしてとらえていくようになるのである。
やがて、男の行動はエスカレートしていく。物の次は人。それまでは人と接触することを極端に嫌っていた主人公は、女性と関係をもったこともなかった。しかし、鋭敏な触覚を持つことになった彼は、むさぼるように女性の体との接触を、特に性器への刺激を求めるようになっていく。最初は性風俗営業の女性で満足しているが、触覚によりその接触が弛緩し切ったものだと感じた彼は、一般の女性をターゲットにする。その時には既に、彼の精神は菌類に侵食され、自分の思考を持てなくなっているのだ。
本書の面白いところは、この男の行動だけではなく、菌類の意志も描いていることだろう。宿主に寄生し、ただただ増殖することのみを求める菌類。それらに意志はあるのか。あるとしたら、それはもちろん本能的なものなのだろうが。作者はその本能的な意志を臨場感あふれるタッチで描く。それは、本能的であるだけに、かえって原初的な恐怖を感じさせる。
作者は、デビュー以来、何かを探し、追い求める者を主人公として描き続けている。本書もまた、その流れの一つに位置づけられる。ここで主人公が追い求めるものは、本能的な満足である。その満足は、彼の中に入り込んだ異物である寄生生物の本能により引き起こされたものである。
探し求めた先に何があるのか。本当に答えられる者は、実はいない。どこかで折り合いをつける。それが理性というものの仕事だ。ならば、理性が働かなくなったらどうなるか。本書の面白さ、そして恐ろしさはそこにあるのだ。
(2003年12月14日読了)
(本稿はネット書店サイト「bk1」に掲載されたものをそのまま使用しております。ご購入はこちらから)