フランス現代思想(主としてレヴィナス)の研究家であり、「おじさん」的思考をうちたてんとする著者の、初期の著作が文庫化されたもの。学会誌からホームページの日記まで、いろいろな媒体に発表したものを「戦争論」「フェミニズム論」「物語」という切り口で整理してまとめている。
著者は、ここでひとつの方向性を打ち出している。それは、「とほほ主義」である。「とほほ主義」とは、自分が主体として批判しているものに対し、実は批判の対象を構成しているのも自分ではないかと足下をさぐってみる主義である。だから、著者は声高に正義は語らない。自分を絶対的な他社の立場におき高みからものを審問することを避ける。「正義」を定義してそのような安全地帯から発言しない。自分の反対する意見に対し、論争を挑まない。相手を追いつめないかわりに自分もおいつめられない。しかし、自分が正しいと思うことについては、誰の言葉も借りずに「正しい」と判断する。その責任は自分自身が負う。実は、そう簡単にできることではないのだ。
私は、「とほほ主義」を支持する。自分の意見に対してためらいを感じるくらいでないと、阿部勤也いうところの「世間」に流されてしまいそうになるからだ。「世間」に流されているのに気がつかず、「世間」の大勢を自分の正義とし、他者からの批判を許さず、「正義」を保つために他人を踏みにじってしまうかもしれないからだ。
そして、著者のありかたは実は「自分は、自分が何も知らないということを知っている」ということに気がついたソクラテスに通じるものがあるように思う。思想の源流はソクラテスにある。
声の大きいものや腕力の強い者が常に勝つ社会なんて嫌だ。そういう者に勝つにはどうすればよいか。その答えを解くヒントが「とほほ主義」にはあるのだ。
(2004年3月4日読了)