中学生の頃、学校の近所に小さな古本屋ができた。そこには漫画の古本がたっぷり置いてあった。そんな古本屋は初めて見た。ただでさえ小遣いの足りない中学生である。高く値付けされた貴重な絶版本になど手は出ない。レジには怖そうなおっちゃんが座っていた。本を手にとって少し読むと、「立ち読みはあかんで」と声をかけられた。怖かった。そこで「手塚治虫ファンクラブ・京都」の会員を募集していた。入ろうかと思ったけれど、あの怖そうなおっちゃんがやっている会だというので敬遠した。私ごとき子どもが太刀打ちできる人物ではないと思ったからである。高くて会費が払えないという事情もあったが。中学3年生の時に、河原町二条の「レザリアム」で「手塚治虫展」があった。当時、漫画の原画の展覧会は珍しかった。受験生のくせに、私はサイン会も含めて何回か足を運んだ。貴重な手塚作品のオークションをしている日にも行った。もしかしたら私も何か手に入れることができるかもしれない。仕切っていたのはあの古本屋のおっちゃんだった。とても私の小遣いで買えるような本は出てこなかった。
そのおっちゃんが、本書の主人公の石川栄基である。「手塚治虫ファンクラブ・京都」はその会誌「ヒョウタンツギタイムス」で数々の復刻を続け、「漫画少年」版の「ジャングル大帝」まで完全復刻するという偉業を成し遂げた。しかも、差別反対を唱える団体からの圧力を受けながら、質の高い作品を多くの人の手に届けるためにという一心で。
怖いおっちゃんである。私などでは太刀打ちできるはずのない人物である。なんと「ちり紙交換車」を発案したのも石川なのだ。知らなかったが、そういう人物が、手塚作品の収集と復刻に全てを賭けたらどうなるか。
もし、中学生の時にファンクラブに入って石川氏の知遇を得ていたら、私の人生も微妙に変わっていたかもしれないなと、読んでいて思った。大きな影響を受けていたかもしれない。ただの一ファンとして会誌を読むだけに終っていたかもしれない。
私にとっての「石川古本店」は、手の届かない財宝の入った蔵であったし、今もそうなのである。本書を読んで、店主に畏敬の念を抱き、あの、宝の山に踏み込んだ少年時代を思い出すのであった。
(2004年3月7日読了)