著者は倫理学者。倫理学の観点から「正義」とは何かを考えている。
著者は「懲悪の正義」や「勧善の正義」が一面的なものであることを示し、これらが視点を変えれば自己中心的なものになってしまうと指摘する。さに、「愛」は求める心よりも与える心の方が大きいほどよいと説く。そして、人命を尊重するということよりも自分の命を賭すことをも惜しまない精神の重要性を訴える。そして、社会正義の達成を法に求める前に、自分自身の「正義」を疑い、徳の高い生き方を一人一人が求めることによって「正義」は達成されると主張する。
「平等」を説くには「観点」と「主体」が必要であるというところなどになるほどとうなきながら読み進めていくと、最後にはプラトンの「哲人政治」のようなところに話が落ち着いてしまう。「自分の正義に生命以上の価値を見い出す」ということや、「己の悪を懲らしめることで己の善を勧める」まっとうな正義を有する人々が集まって初めてまっとうな社会」が成立するという。確かにそれは理想である。しかし、それができないところが人間の弱味でもあり、避けて通られないところなのではあるまいか。
そこらあたりが倫理学の限界なのではないだろうかと思わずにはいられない。人間というものに絶望したところから論を組み立て、それでもなお残る「正義」とは何かを私は追求したい。「人のことをとやかくいう前に自ら衿を正しなさい」というような説教をされてもなあ、と思うのである。
(2004年4月15日読了)