今でこそ緑台という名前になっているけれども、主人公の作家がすむ町は、かつては人面町と呼ばれていたという。なぜならば、そこで人面が作られていたからだ。作家の妻の実家も人面を作る工場を経営していたけれども、いまはもう作ってはいない。人面とはなにかを知りたい主人公だけれども、義父に説明してもらってもよくわからない。妻が人面魚を捕まえる手伝いをしたり、でっかい鶏が現れてそれを頭から食べる小母さんがいたり、変わったテーマパークで体をのっとられそうになったりと、主人公の身の回りには不思議なことが起こる。だいたい彼が妻と知り合ったのも、巨大な土竜が暴れたせいで住むところを失った彼が仕方なく学校の体育館に避難して死体の横で寝ていたときに「いっしょに来る?」と声をかけられたのがきっかけだったのだ。そんな彼が、虹を探しに出かけたときに踏み切りの前で思い出した過去の記憶とは……。
まだ火星はなくなっていないけれどもレプリカメはとうにいなくなっているという時代の話。そう、本書もまた作者の紡ぎ出す未来史の一端であるのだ。戦争の影響で、奇妙な生き物やら出来事があれやこれやと起こっている。主人公がとまどいつつそれを受け入れていくのは、北野作品ならばおなじみの光景である。
本書の面白さは、オムニバス短編集のように様々な事件が描写され、それがひとつに収斂されそうでされないところである。このような形式の作品の場合、なにかひとつにまとめられないと落ち着かないものなのだけれども、本書に関してはそんなことはどうでもよくなってくる。それは、私たちの日常がそうであるように、一般の人間にとっては自分の周辺でいろいろな事件が起きても、それが理屈っぽくひとつの形にまとまることなんてないという感覚からくるものだと思う。
ラスト近くで主人公にとって非常に大きな過去が明らかになるけれども、なったからといって現在の生活が大きく変わるわけではない。これもまた日常というもののもつ重い力があるからだ。そういう意味では、作者の一連の作品群は「日常」のもつ重苦しさをふわりとしたベールで隠しながら、それでも見えてしまう重みをじんわりと描き出し続けているということになるのだろう。
(2004年7月17日読了)