村山政権から橋本政権までの自社さ連立内閣、そして小渕政権から森政権までの自自公連立内閣を支えてきた自民党きっての実力派代議士であった野中広務。京都府園部町の町会議員から町長、京都府会議員を経て副知事に、そして還暦を目前にして国会議員にのし上がってきた叩き上げの男。地方議員時代は蜷川府政の野党として熾烈な政争を繰り広げ、林田府知事誕生への貢献から副知事に。衆議院議員となってからは田中派、そして竹下派に所属して力を蓄え、小沢派の自民党離党を機に野党に転じた自民党で一気に頭角を現した。以後は連立政権のお膳立てをしながら、自民党の影のリーダーとしてその剛腕ぶりを発揮する。森首相退陣の折には次期首相の声も上がりながら身を引き、小泉首相の抵抗勢力として戦ったが自衛隊のイラク派遣をめぐって敗れ、自ら引退決意した。
本書は、被差別部落出身の若者が、実力を蓄えて権力の頂点にのし上がりながらも、差別の壁に阻まれて国会議事堂から去っていく姿を描いたドキュメンタリーである。被差別者であるが故に、弱者へは優しく手を差し伸べる反面、自らの権力をいかに活用していくかという手法においては、師匠筋の田中角栄、竹下登らに匹敵する恐ろしさを持ち合わせている。その実体を余すところなく書き上げている。特に出身地の人々からは度重なる取材拒否を受けながらも、粘り強い取材を積み重ねている。だからこそ、本書に書かれた野中広務の人物像に厚みと深みがあるのだろう。
著者によると、野中が総裁選に出馬することを固持した理由の一つに、麻生太郎による「野中のような部落出身者を日本の首相にはできないわなあ」という発言があったという。麻生太郎といえば、祖父は戦後のワンマン宰相吉田茂、父は大臣もつとめた麻生太賀吉といういわゆる〈良血〉である。二世議員、三世議員が幅をきかせる政界で、叩き上げから強引な手法を使いながらも頂点へと登っていった野中が、どうしても乗り越えられない壁があるとしたら、特権階級に生まれて地盤や看板を用意された人々の持つ無意味なエリート意識だったに違いない。
私は被差別部落の人から「野中さんも(議員を)引退してやっと墓参りができたというなあ」という発言を直接耳にしたことがある。部落差別は本当になくなったのだろうか。表面的にはともかく、潜在的な差別意識はまだ残っているのだろう。現在、バブル崩壊を経て新たな階級社会が生まれつつあるように私には感じられてならないのだが、この階級社会が完成された時に、潜在的な差別意識が顕在化しないという保証はないのだ。
そんな中で、野中が出自を隠すことなくこの社会の頂点に立とうとする時に、脅迫、恫喝などを含む権謀術数を駆使せざるを得なかったのはやむを得ないことだったのかもしれない。いや、そのことをやむを得ないことにしてしまうような状態にこそ問題はあったのだ。
私は野中広務という政治家に対してその全てを是とはしたくない。が、新たな階級社会に抵抗した男として、一定の評価をすべきだと思っている。本書は、野中広務という人物のよい部分も悪い部分も公正に記述し、その軌跡から日本政府の持つ歪みを明らかにしたものなのである。ジャーナリズムとは、かくあるべきではなかろうか、と思う。
(2004年7月19日読了)