キリスト教の教義の根本に位置するはずの『新約聖書』だが、現在のような形に落ち着いたのはイエス没後300年の後の事である。宗教の教典がまとまるまでこれほどまでに時間がかかったという例は珍しいのではないか。しかも、この『新約聖書』という書物は、書き手が複数いるだけに、その書き手によってイエスに対するスタンスや信仰のありようがかなり違う。それを1冊の本として、矛盾をはらんだまま聖典になっていったのはなぜだろうか。
著者は神学者という立場から『新約聖書』を徹底的に読み込み、歴史的な背景もふまえながら、ユダヤ教の一派であったイエス教団がイエスの没後にどのような経緯で広がっていったかを探りながら、『新約聖書』がなぜ教団に必要になってきたのかを明らかにしていく。
ユダヤ教の律法主義に反対するイエスとその弟子は、信者を縛りつける「教典」よりも口伝で教えを説くことを重んじた。しかし、イエスの教団が大きくなっていくと、エルサレムにとどまる者たちとエルサレム以外の土地に住まう者との間に乖離が生じてきた。そこで、エルサレムから離れている者たちによって自分たちの正当性を証拠づけるものとしてイエスの生涯と教えを物語として構築し文書の形で残すことが必要になってきた。さらにエルサレムにいる者たちもそれを受けて文書を残していく。
使徒たちの残した書簡もまた、イエスの教えを説いたものとして重んじられる。そのような文書が増えていくと、その中からまた正統とされるものを選び出して自分を権威づけるものが登場する。こうして形作られていったものが『新約聖書』なのである。
私はキリスト教の信者でもなく、聖書は一度読んだことはあるけれど決してくわしいわけではない。しかし、そんな私でも納得がいく説明がなされているのが本書である。宗教というものがどのように生まれ、そして広がっていくか。その過程が『新約聖書』の成立という事件をモチーフにして明らかにされていく。
多様な学説があるのだろうが、それらを踏まえてここまで理解しやすいものにまとめあげた著者の力量には驚かされた。そし、宗教を学術的に解明するというのはどういうことなのかが、本書では示されている。教典の解釈だけが宗教学ではないのである。
(2004年7月21日読了)