江戸時代、幕府は寺請制度で庶民を檀那寺に登録させるという仏教保護政策をしいた。キリスト教信者の中で、仏教に改宗したものも檀那寺に登録されたのだが、彼らは〈類族〉と呼ばれ、その子孫たちも村から出ることは許されず、死者を葬る際にもわざわざ寺社奉行の許可を待たなければならなかった。出羽国小河原藩中根村に住む藤右衛門は、類族であるが故に受ける差別に苦しみ、想い人を犯した上にその兄であり自分の親友でもある甚三郎を殺しおとがめもない庄屋の息子を暗殺する。村を抜け、関所の警戒をかいくぐって江戸に向かう彼は、従者を失って途方に暮れた油屋の内儀おしづを助けたことが縁で、その従者に成り代わって江戸に入る。藤右衛門はその従者の名の宇源太をそのままもらい、江戸で剣術指南の道場を営む吉野信三郎宅の小者となる。吉野から剣の手ほどきを受けた宇源太は天分もあってかめきめきと上達する。やがて宇源太は、神社と寺の確執を目のあたりにしたり、勝海舟の依頼で長崎までキリシタンに会いに行ったりと、様々な経験をしながら、宗教について考えるようになる。時代は幕末、明治維新がなり、神社が寺にとってかわる時代がきたが、その神社の神主は還俗した僧侶たちであり神社は江戸時代に寺がしていたことと同じことを繰り返していた……。
類族という制度があったことは正直知らなかった。江戸幕府の差別政策の巧妙さを思い知らされる思いである。宗教弾圧によって被差別の身分とされた者を主人公に置くことにより、作者は、私たちの身の回りにある「宗教」の本質を、主人公の目を通して考えさせてくれる。
統治者に都合のよい「宗教」と個人の内心の自由である「信仰」の違いが本書では明らかになる。そして、江戸幕府260年の統治とにより築かれた「宗教」に対する考え方は、相当根深く私たちの生活にしみこんでいることを自覚させられる。
本書では、主人公は時代の波に翻弄される。その灯台となるのが勝海舟で、作者は自分の思いの多くを勝海舟に代弁させている。例えば、明治政府が天皇を神と位置づけて統治に利用したことがかえって自分たちの首を絞めるのではないかという勝による予言は、作者による戦時中の軍部に対する批判なのだ。
時折作者が現代の視点で意見を書いたりしており、そのところで幾分ひっかからないではないが、時代というものを社会から疎外された立場の人間が冷静見つめつつ、それでもその時代の動きに巻き込まれていくという展開に一気に引き込まれていった。作者初の時代小説であるが、評論などで見られる鋭い視点が有効的に使われており、時代を超えた社会矛盾の本質を鋭く突いている。今後作者の代表作の一つとして数えられるようになる小説だろう。
(2004年8月7日読了)