第5回日本SF新人賞受賞作。作者のデビュー長編である。
医療ナノマシンメーカーの労務担当であるキョウイチは、クローンであった。彼のオリジナルは10歳で死亡し、両親の願いで彼が生み出されたのだ。しかし、オリジナルとの差からか両親の期待をネガティヴに受け取った彼は、学校を卒業するとすぐに就職する。勤務先のオセアニアで知り合った学生、ユンに彼は何かしら心を惹かれるものを感じる。彼女が通信に使うトゥインのホアとのやりとりなどを楽しんでいたキョウイチだったが、彼女は卒業と同時に恋人のマークと結婚して火星に移住してしまった。ところが、ユンたちが移住した直後に火星は一気に緑化し、独立勢力が地球に対して反乱を起こす。火星との連絡が途絶してしまい、ユンたちの生死もわからない。キョウイチは志願して火星への調査隊に参加する。火星の急激な緑化はナノマシンの働きによるものであり、しかもそのナノマシンは人間の体に寄生して考えたものを瞬時に生み出せるIR能力を持たせるようになっていた。その中で最も強いIR能力を持っているのがユンで、その力を発揮するために彼女は植物人間のようになっていたのだ。キョウイチは調査隊のマグレガー大尉たちとともにユンの奪回作戦を実行するが……。
ナノマシンによるIR能力、その能力を量子力学的に使用して世界を変える計画など、SFとしてのアイデアはスケールが大きく、魅力的である。ただ、ストーリーはそれらのアイデアを軸に進むのではなく、物語の語り手であるキョウイチがいかにしてユンを奪回するかという点を中心に展開する。したがって、物語の面白さの焦点が幾分ぼやけてしまうという難点がある。これは、語り手を必ずしも物語の核心にいるわけではない人物にさせたことと無関係ではあるまい。むろん、語り手が何もかも知っていては物語の面白さは半減するが、傍観者に近い人物にしてしまうと、読者のわからないところで話が勝手に進んでしまうということになってしまうのだ。
そういう意味では、本書は一人称で語られる物語ではなく、三人称で綴られるべきではなかったか。せっかく大きなアイデアや魅力的な設定、スリリングな物語があるのにもかかわらず、語り手が見聞できないところで物語が進んでしまうというのは、実にもったいない。ここらあたりが小説の難しいところなのだと思う。有望な新人だと思うので、次回こそは物語の面白さを読者にダイレクトに伝えるというところに力点を置いてほしいものだ。そうすれば、本書以上の物が生み出されるに違いないと思う。期待したい。
(2004年8月10日読了)