時は1870年、舞台はウィーン。プロイセンの盟友ベルンシュタイン公国の君主、ベルンシュタイン公は、かつて自分たちの手で開発しながらその欠陥ゆえに完全に廃棄したはずの麻薬が〈魔笛〉という名で流通しているのを知る。〈魔笛〉は英国貴族セントルークス卿が主宰する舞踏場でしか手に入らない。〈魔笛〉を服用すると音感が冴え至福の時を過ごす代わりに廃人となるのである。そして、〈魔笛〉を服用していたと思われる音楽家たちの失踪。ベルンシュタイン公が目をかけていた若く才能のある指揮者フランツ・ヨーゼフ・マイヤーは、セントルークス卿の甘言にのり、理想の音楽を生み出すために英国に渡る。そこではサンプリングやザッピングなどのできる機械があり、フランツはセントルークス卿の舞踏場の売れっ子DJとなる。しかし、彼もまた知らず知らずのうちに〈魔笛〉に毒されていた。ベルンシュタイン公は、作曲家のブルックナー教授とともにセントルークス卿の野望を阻止するとともにフランツを救おうとする。セントルークス卿の作り出した音楽機械〈ムジカ・マキーナ〉の秘密とは。そして、事件の背後にひそむ真相は……。
近世から近代に移行していく時代を舞台に、芸術を極めようとする者の狂気を驚くべき仕掛けであらわにしていく物語である。現代のシンセサイザー音楽への批評、あるいは作者のクラシック音楽への思いが本書には込められている。
特筆すべきは〈ムジカ・マキーナ〉の正体である。音楽から受ける感銘を増幅する麻薬〈魔笛〉の設定が、音楽機械の正体に反映しているだけではなく、機械で作り出す音楽の限界までもがその正体で示される。当時の音楽会や政治状況を巧みに活用し、理想の音楽を求める若者の苦悩などが、この奇抜なアイデアを用いてみごとに表現されている。
本書は作者のデビュー作である。ファンタジーノベル大賞の最終選考まで残りながら受賞を逃したものの、こうやって出版され、現在も文庫として読みつがれている。ここには、作者の原点がある。歴史的な背景にのせて現代の状況を思わせるアイデアをその時代に投げ込み、現代に対する批評をしていくというスタイルは、この段階でできあがっていたということになる。しかも、謎の解明に至る過程もスリリングで読者を強く引っ張る力を備えている。
ただし、個人的にはここで最終的に示される理想の音楽に対しては、私としてはちょっと賛成しかねる。なぜならば、私はブルックナーの交響曲は苦手なのである。小説の世界の中でブルックナーに理想を求めるのはよろしいが、そこだけは承服しかねる。あ、これは個人的な趣味の問題ではあるのだが。
(2004年8月20日読了)