井之上雅比古博士。彼は博学にして好奇心旺盛で、いささかペダンティックな人物である。天使を求める老婦人、本物の人魚、そして南の島で行われる幻想的な儀式……。彼の前には様々な不可思議が登場し、彼の好奇心を満たしてくれる。〈心臓の骨〉と呼ばれる魔性の宝玉に魅了され、その持ち主である生物学者小藤祥之とともに南海の孤島、アーカムにおもむく。途上の飛行機で出会ったのは、人気女優有田万里とその娘マリカ。マリカの持つ強力な神性に心惹かれる井之上。大潮の儀式に立ち合った彼らは、戦時中にこの島にやってきてそのまま現地にとどまった日本人兵士たちが海賊と化し、島に生える花から作られる麻薬を狙うという事件に巻き込まれる。しかも、人質としてマリカが悪漢たちの手に……。儀式の秘密とは何か。島に隠されたものは……。
小道具は心惹かれるものばかり、登場人物もバラエティに富んでいる。最初の短編二つは、その不思議な雰囲気を楽しむことができたが、書き下ろされた中編については、期待していたほど物語に吸い込まれずに終ってしまった。
その理由を考えてみると、まず、主人公の井之上雅比古に、作者自身がいれこむほどの魅力を感じられないことがある。モデルとなった作家、井上雅彦さんのイメージを思い浮かべてしまうということもあるかもしれない。いろいろと描写がなされているのにもかかわらず、そのためか主人公に強烈な個性が感じ取れないのである。また、レトロなタッチの文体を意識的に使っているのだが、それが十分にこなれていないという印象を受けた。するっと頭に入ってこないのだ。最後に、主人公が島に行く目的が何なのか、もうひとつ判然としないのである。だから、主人公がどんなに冒険をしても、どこにゴールがあるのかわからない。不安定な状態のまま物語が進んでいく。最後に到達した地点には、物語の冒頭で示された妖しい宝石の話などどこかへいってしまっている。
残念ながら、そういう点で、私は本書とはいささか相性が悪かったようだ。私はもう少し目的のはっきりした物語を好む。作者が自分の作り上げた主人公を活躍させるためにさまざまな小道具をちりばめたという趣のある本書は、物語そのものの持つパワーが不足しているように感じられてならないのである。
(2004年10月5日読了)