星占い、血液型占い、人相、手相、易学、西洋占星術、動物占いに寿司占い……。世の中には非常に数多くの占いがあり、また数多くの人々が占いを気にする。科学的な根拠のないものであるとわかってはいても、それでも人は占いを気にする。本書は、古今東西の占いのパターンを分析し、なぜ人は占いを信じたくなるのかを考察したものである。
著者は文化人類学者である。その学問的な手法を使い、多数の事例を集め、パターンを抽出する。例えば、その場にふさわしくないことが起きたとする(秋にたんぽぽが咲く、など)。すると、日常の枠組みが崩れたという暗示を人はそこから読み取り凶事が起こると占うのである。これは、何か不吉なことが起きた(家族が事故にあった、など)場合、近い過去にさかのぼって日常を崩したできごとがなかったかを探し出す。そして、不吉なことが起きた原因をそこに求めるのである。
また、同じ現象でもそれが起きた場所や時間帯が違えば、吉兆にも凶兆にもなる(朝の蜘蛛は吉で夜の蜘蛛は凶、など。)し、同じ場でも見たものが違えば吉か凶かの判断材料となる(牛が鳴くと雨で馬が鳴けば晴、など)。こういった対句を用いることにより、占いは人の心を安心させる。
そして、占いには偶然性が必要である。人為的に結果が定められたことが起こっても、それは占いにはなり得ない。例えば、血液型や生年月日などは、偶然にそう決まってしまったのであり、人為的なものが介在する余地はない。
著者は、占いを、無秩序なものに何らかの形で物語を付与し秩序づけをするものだと考える。例えば人の性格などはそうかんたんに把握したり理解したりはできない。そこにA型の血液だの魚座の生れだのというような〈秩序〉を与えて世界を把握する手段としようとするのだ。したがって、どれほど科学が発達しようと、人は占いを必要としてしまうのだと、作者は結論づけるのである。
占いという行為の構造を分析し、そこから人々が占いを信じたがる理由を突き止めていく本書は、人間の文明が始まって以来、絶えることなく数多くの占いが生み出されてきた理由をも解き明かす。そう、占いはどんな理屈があろうとも「科学的」である必要はないのである。科学的な占いは偶然に左右されることはないだろう。しかし、人は偶然に物語や因果関係を持たせることによって、不安を取り除きたいのである。全てが明晰になってしまったら、生きるおもしろさも何もない。しかし、自分の周辺が全て不確定であれば不安は増す。そのバランスをとる一つの知恵が「占い」なのであろう。だからこそ、その占いにとらわれすぎない方がよい。そうなると、このバランスはかんたんに崩れてしまう。
人間の文化というもののおもしろさを感じさせてくれる一冊である。
(2004年12月2日読了)