人気の高い「三国志」も、読み方を変えたらとんでもない連中が暴れたり人をだましたりする困った物語になってしまう。本書は、酒見賢一が冷静な視点で原典を読み、おかしなところに率直にツッコミをいれながら、諸葛孔明という稀代の軍師(実は詐欺師かも)の姿をこれまでにない視点でとらえたものである。
本書では孔明は徹底的に変人として扱われる。なにかというと「宇宙論」を持ち出し人をけむに巻く弁舌の持ち主である。頑固でへそ曲がりで該博な知識を持ったわけのわからない若者と、戦っては必ず負けるのに常に生き残る愚連隊の大将(劉備のことである)の出会いが描かれる。劉備の描き方もたいがいであるが、彼と関羽、張飛たちとの関係を「侠」の一字で解き明かしているのはさすが作者というほかない。「三国志」を冷静に読めば、劉備という人物はなぜか出会った者の心をとろかしその幕下に入りたくなる謎の人物だと読めないこともない。そして、「三国志」そのものが前提として劉備一党を「善」、曹操一党を「悪」としているのだから、どうしても劉備たちがやったことは非道なことでも「正義」のためだということになってしまうのだ。その矛盾を作者は鋭くつきながら、物語ではまるでぼやき漫才でもやっているかのように皮肉たっぷりに描いて読者を笑わせる。
残念ながら、本書は「三顧の礼」のところまでしか書かれていない。この調子で「赤壁の戦い」や「出師の表」などの名場面まで読ませてほしくなる。もっとも、これ以上書くと「三国志」ファンの恨みを買うことになるから、作者はここでとどめておいたのかもしれない。
「三国志」の話を全く知らない人は読まない方がいい。本書はいわば「三国志上級者用応用編」みたいなものなのである。
ところで、作者が時々挿入する歴史観や人物評は、司馬遼太郎の小説を意識しているように感じる。となると、これは「三国志」と「司馬遼太郎」のパスティーシュなのかもしれない。なんとも一筋縄ではいかない作家である。
(2004年12月19日読了)