物を集めること、集めたもの、それは集めた人物の人間そのものをあらわしているのではないだろうか。趣味、性向、思想……。本書は、「集める」という行為を通じ、「集めたもの」によって一つの文化を形成した人々について書かれた文化論である。
著者は「集める」という行為についてまず考察する。集めたいから集める。集めるという行為そのものに秘められた意味がある。それは、そのものが好きだから集めるのであって、営利的な行為ではない。集めることによって人に一目置かれたい、などという見栄もそこにはない。集めることが、集めたものが、好きでしょうがないのである。
そして、集めたものがコレクションとなることにより、それは意味を生じる。博物館を作っても、それを管理する人間にコレクターシップがなければならない。とりあえず揃えましたというものには、意味は生じないのである。
徳川義親、松平不昧、大原孫三郎と児島虎次郎、山階芳麿、今西菊松、小林和作、長谷川仁、澁澤龍彦、柳田國男、南方熊楠、荒俣宏、横田順彌、赤瀬川原平……古今のコレクターたちのエピソードは、読む者に「集める」という行為の偉大さを伝えてくれる。
文庫版のために書き下ろされた終章には、著者がいかにしてコレクターになったかが書かれている。著者もまた、私と同年の生れである。どのように著者の興味が「集める」ということに移行していったかが、理解できる。私はコレクターといえるほどのコレクションはないが、「おたく」の心性は共通しているように思う。
本書は、そのような心性を共有していない人であっても、その心性とはどういうものなのかを理解してもらえるように書かれている。なかなか理解してもらえないものではないかと思うのだが、それをここまで文章化できる著者の力量の高さには感服せずにはいられないのである。
(2005年2月1日読了)