読書感想文


万博幻想−戦後政治の呪縛
吉見俊哉著
ちくま新書
2005年3月10日第1刷
定価860円

 1970年の大阪万博、1975年の沖縄海洋博、1985年の筑波科学博、そして2005年の愛知万博。著者はこれら4つの万博が開催された経緯をわかりやすく提示した上で、日本における「万博」に共通した「開発と政治」という枠組みを明らかにし、これらの「万博」を受ける側の一般市民の意識の変容を記している。
 著者は、大阪万博は戦前の「紀元2600年記念万博」が延期して行われたものであるとする。戦前の企画が国際社会に対して日本の国威を発揚する基盤が軍事力による発展におかれていたものが、大阪万博では高度経済成長を基盤にしたものにすり変わっただけであるというとらえ方は卓見といえるだろう。
 また、大阪万博の成功が「万博幻想」を生み出し、沖縄の本土復帰にともなう開発、筑波への都市機能移転運動などを「万博」を利用して動かしていくという動機になったという指摘にも説得力がある。そして、それらがたとえ学者や知識人による優れたテーマ設定がなされていたとしても、政治力や資本によって骨抜きにされていく過程、電通などの広告代理店によってショー化されていく過程、開発によって多くの自然環境が人工的なものに強引にとってかわられていく過程などの共通する図式が明らかにされていく。
 それに対し、愛知万博では社会参加意識の高まった市民たちによって計画に対して要求が突きつけられ、政治的な意志ではその力を止められない状況が現れたことに着目する。
 しかし、著者自身も計画途上で参加することになった愛知万博も、最終的に「トヨタ万博」になろうとしているという事実を読者に突きつけ、今後、日本で万博を行う意義は失われたと著者は指摘する。それは、著者が愛知万博開催までの過程を実体験しているだけに、説得力を持つ。また、中国や韓国での「万博」に対し、日本の「万博」の教訓が生かされるかどうかという危惧も具体性を帯びている。
 私たちの世代が子どもの頃に見せられた「夢の未来」は、現実にはならなかった。残っているのは連綿と続く官僚政治の結果、無惨に変容し、高度経済成長やバブル経済が終焉したにもかかわらず、いまだに見せられる「成長幻想」である。
 疑似イベントが社会を活性化させる時代は終り、大衆の欲求は分散化し、時代は新たな局面を迎えている。
 私は、本書を読みながら、だだっ広い公園にぬっと立ち尽くす「太陽の塔」の姿を常に思い浮かべていた。太陽の塔の黄金の顔の、くりぬかれた空虚な目が見つめる先に、現在がある。そのことを改めて実感させる好著である。

(2005年3月21O日読了)


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