最近とみに「大阪本」が増えている。しかし、切り口はどうしても似たり寄ったりになってしまう。「大阪人の漫才的会話」「大阪のおばちゃんのパワー」「阪神タイガース」「吉本興業」「粉食」などなど。本書は産経新聞大阪版の夕刊に連載されたものをまとめてある。ここでは、1970年の大阪万博が契機となって変貌していった大阪、大阪発祥の企業の本社機能が次々と東京に移転している現実、笑芸人ですら東京進出と全国制覇が結びついている実態、タイガース以外の視点から見た野球、東京に一極集中しがちなジャーナリズムに対する苦言という構成で、大阪と、そこから広がる日本全体の問題があぶり出されている。
本書で特に面白かったのは大阪ジャーナリズムに関する項であった。夕刊紙の衰退、黒田清に象徴される読者の視点から書かれるべき新聞記事など、(著者も含めた)大阪のジャーナリストは、大阪ならではの足で稼ぐ記事作りを心掛けるべきだという提言である。「官」に対抗する「民」の強さ。司馬遼太郎に代表されるジャーナリスト的な視点で書かれた小説も含め、大阪におけるジャーナリズムのあり方というものが厳しく問いかけられている。
中央集権的な官僚のたてた政策により、大阪の経営者たちも東京に移らなければ営業上のタイムラグができてしまうという現実が、現在の大阪の地盤沈下を招いたと、本書にはある。だとしたら、これは大阪だけの問題ではない。地方都市は、常に中央に従属しなければ生きてはいけないということになってしまう。それを代表するのが大阪の地盤沈下ではないだろうか。
大谷晃一によって拓かれ、橋爪紳也たちによって展開されてきた「大阪学」のジャーナリストによる新たな挑戦が本書といえる。著者は山梨出身であるが、立命館大学を卒業したことがきっかけで関西とつながりを持つようになったようである。したがって、その視点は大阪、あるいは近畿で生れ育った者にはない独自の距離感がある。ただ、それは冷たい距離感ではなく、客観的に見ることのできる距離の置き方というように感じられる。著者が大阪に対して感じているシンパシーがどこからきたものなのかを少しでも書いてくれていたら、大阪という都市が関東などの他地方からどうとらえられているかを知ることができたのに。
地方と中央の関係を包括的にとらえ、日本における「地方」の問題とは何かを明らかにした好著である。
(2005年4月28日読了)