僕はAボタンをクリックすると、坂上悦郎からテツオになる。オンラインゲームのヴァーチャル世界に入り、最強のキャラクターを目指して戦い続けるのだ。町の中には四天王と呼ばれる強者たちがおり、また、ストリートファイターがあまり足を踏み入れない3丁目には「辻斬りジャック」と呼ばれる謎のファイターもいる。僕はリアル世界では、出席カードをうまく集めて適当に講義に出る大学生だ。同じクラスの薙原布美子とは、僕が遅刻してきた彼女に出席カードを譲ってやったことがきっかけで話をし始め、見ると幸せになるという新宿の青い猫を探すのにつきあったりする。そして僕はテツオとなり、最強のファイターの座をかけた大会に出場し、勝ち進む。あとわずかで決勝という時に、「辻斬りジャック」とも出会い、自分の存在価値を賭けた戦いを始める……。
ヴァーチャル世界で戦う戦士と平凡な大学生を使い分ける青年、という設定は新しいものに見える。しかし、読み進むうちに、この物語の基本的な枠組みは、例えば甲子園で優勝を目指して野球をする高校生の物語と、大筋では変わらないのではないか、という気がしてきた。甲子園で試合をする選手もまた、甲子園という場では単なる高校生ではない。そして、甲子園のヒーローも、学校という空間では別に特別な存在でもない。
本書がファンタスティックであるのは、実はリアル空間として描かれる学校生活の方である。ここではボーイ・ミーツ・ガールという古典的な物語が、現実ではあり得ないほど理想的に語られる。現実の恋愛はこんなにうまくいくはずがないし、もっとどろどろとしたものだろう。逆に、ネットゲームの空間の方が、その濃密な人間関係や戦いにからむエピソードの細密な描写により、かなりリアリティのある世界になっている。
作者がリアル空間とヴァーチャル空間のリアリティの逆転を意図して描いたのだとしたら、この物語の倒錯的な雰囲気によって与えられる不思議な違和感は、その成功の証だろう。しかし、作者が無意識にこういう枠組みを作り出しているのだとしたら、本書にはとりたてていうほどの新しさはなく、実に古典的な物語のなぞりでしかなくなってしまう。作者のあとがきを読んでみても、そこらあたりはまだ判然としない。
はたしてどちらであるのか。それをわざとらしくでなく伝えられるようになった時、この作家の評価がかたまってくるのではないだろうか。
(2005年6月26日読了)