ピアニスト、ミッシェル近藤は、幼少から化粧や女装に興味があった。暴走族出身の父親がむりやり通わせたピアノ教室のおかげで、近藤にはピアノという生涯を支えるパートナーと出会うことができた。しかし、学校では男子たちから「オトコオンナ」と言われ、この国で女性として生きていく難しさを実感し始める。高校を卒業すると、近藤はついに渡米し、ロスでピアニストとしての働き口をつかむ。しかし、一見自由と思われるアメリカも、宗教上の理由で近藤のような性同一障害者を認めないという一面を持っていた……。
性同一障害について関心の深い著者が、一人の人物の生き方を追うことにより、この障害に関する現状での課題を浮き彫りにしていく。特に、自由の国であるはずのアメリカの保守性と、異物を排除したがる日本の意外な順応性が明らかになるところなどは注目に値する。
また、性同一障害に関する解説も明解で理解しやすい記述となっている。本書は青少年向けのシリーズの1冊だけに、とにかくわかりやすく描くことを主眼に置いている。そこに好感がもてた。
ただ、その分、性同一障害者の苦悩などは意外に断片的にしか描写されていない。これは、主人公がぶちあたる壁が比較的少ないというところにも理由があるのかもしれない。あまり生々しくならないようにという配慮もあっただろう。しかし、多感な青年期だからこそ、この課題の奥深さをしっかりと伝えた方がいいのではないかというようにも感じた。
性同一障害とはどういうものかを知る入り口として本書は最適だろう。様々な人々が生きているからこそ、社会というものの複雑さと面白さがある。それを知るだけでも本書を読む価値はあるのではないだろうか。
(2005年6月26日読了)