著者は「少年サンデー」誌で漫画家赤塚不二夫の担当を11年間続け、「おそ松くん」、「もーれつア太郎」、「天才バカボン」、「レッツラ・ゴン」などの代表作にかかわってきた名物編集者である。特に「レッツラ・ゴン」では漫画の登場人物としても登場していたのには、私にも記憶がある。あの「武居記者」なのだ。長谷邦夫、古谷三敏、高井研一郎といったスタッフとともにネームを作っていく過程、そして全員で執筆していく様子などの、漫画製作の舞台裏が明かされるとともに、赤塚たちが身を削るようにしてギャグという狂気の世界を生み出していった状況が克明に描かれる。
まさに身を削っての執筆だったといっていい。周辺の人間を巻き込み、飲みに行くにしても遊びに行くにしても徹底的に馬鹿にならなければすまなかった赤塚不二夫。著者は「『おそ松くん』でギャグを、『天才バカボン』でナンセンスを、『レッツラ・ゴン』でシュールを」漫画という形で完成させたのが赤塚だと書く。実験につぐ実験。子ども相手だからこそ徹底してナンセンスをつくりこむ。ジョージ秋山や永井豪がシリアスな世界に移っていくのを嘆き、自分はギャグ漫画を描きつづけるのだという決意を見せる赤塚。とりいかずよしやあだち充など、何人もの人気漫画家をチームの中から生み出していったその面倒見のよさ。そして、全ての土台となる繊細な感受性。著者の描く赤塚は、天才であり努力家でありやんちゃ坊主であり馬鹿であり偉大である。
読むほどに、ものを作る人間の苦しみと、それを読者に見せない心遣いというものが、読み手の胸に突き刺さってくる。私が子どもの頃に夢中になって読んだ赤塚漫画は、このような凄まじさの中で生み出されてきたのだ。生き方全てを「ギャグ」に結びつけていく赤塚不二夫という人間の恐ろしさが、表の部分も裏の部分も全て書き尽くされている。
書き手は、優れた編集者の手によって一流になっていく。赤塚不二夫が一流のギャグ漫画家でいられたのは、著者をはじめとする優れた編集者がいたからなのである。しかし、著者はそれを誇るわけではない。ただただ自分が接してきた中で見た赤塚不二夫のありのままを描くのみである。だからこそ、赤塚不二夫という手塚治虫とは全くタイプの異なる漫画家の偉大さが伝わってくるのである。
(2005年7月6日読了)