昭和のはじめに関東軍を中心とした日本人の手によって作られた「満州国」。そこは革新官僚たちによる新しい都市計画や政策の壮大な実験場であった。そして、その資金源となったのは、阿片である。本書は「阿片王」と呼ばれた里見甫とそこから発した人脈を、戦後50年となった頃から徹底的に取材し、彼に群がる様々な人物たちの欲と情を明らかにしていく試みである。政治家、官僚、商社マン、馬賊に右翼、はては謎の男装の麗人まで、その人脈をたどることにより、大陸の果てのない奥行きが感じ取れる。里見自身は私利私欲で動く人間ではなかったらしい。しかし、その周辺の者たちは里見の発する底知れぬ魔力のようなものの影響を受け、異形と化していくようである。里見の前には、軍の大物も魅惑的な女性も自在に動かされていく。
労作である。里見甫という人物の真実を様々な角度の証言から再現していくのは、関係者の多くが鬼籍に入ってしまっている現在では実に困難な作業であっただろう。さらに、里見のそばで常に働いていた男装の女性、梅村淳の正体を探り、歴史の影に消えてしまっていたであろう謎の人物の姿を少しずつ明らかにしていく過程には手に汗握るような面白さを感じた。
ただ、あとがきにも書かれている実験場としての満州の位置づけという意味では、本書は決して十分に答を出しているとはいえない。里見甫という人物とその周辺を細かく追うことにより満州の影の部分がかなり明らかになったとはいえ、あまりに細密すぎて全体像をつかみ切れないのである。おそらくは書きたいことがあまりに多く、そこまで手がまわらなかったということだろう。
それにしても歴史の裏面に棲息していた人々の放つ妖気の強烈さはどうだろうか。戦後政財界のフィクサーとして名を売った児玉誉士夫や笹川良一といった人物たちも、里見の前では影が薄くなっていく。これは著者がそのように描いているということもあるのだろうけれど、里見という人物がそれだけ桁違いだったのだということなのかもしれない。
ただ、いくら綿密に取材を重ねたとしても、本人を知る人や満州建国時に大人になっていた人たちはほとんどが亡くなっているわけだから、どうしてもわからないままに終った部分も多いのである。人間は謎が多いほどその神秘性を増す。本書での里見甫には神秘的な謎がまだまだ残されている。その神秘的な魔力に著者も吸い込まれてしまったのかもしれないと思うのは私だけだろうか。
(2005年9月25日読了)