「『あの人はバカ』という自分はバカじゃない」「少年事件には厳罰を」「現実には従うしかない」「自分らしい仕事をしよう」「ゆとり教育は失敗だった」「すべては『自己責任』の結果」「B型人間は自己中心的」「『平和』や『反戦』にとらわれるのは頭が古い証拠」「ナショナリズムは普通で健全で自然」……。
いずれもここ数年の間にマスメディアなどを通じて発せられてきた「いまどきの『常識』」である。著者は、これらの言説に対して待ったをかける。自分がバカだと指名される前に誰かのことをバカと言ってしまう心理や、現状追認をして事足れりとする風潮、人を型にはめないと落ち着かない感情、経済の停滞の反作用としてのナショナリズムの怖さなどを、たんねんにたどっていく。
私は、著者のスタンスにおおいに共感できた。というのも、著者や私たちの世代が育ってきた環境を考えると、昨今の風潮は確かにおかしいと思えるのである。例えば「ゆとり教育」。私たちの世代は「詰め込み過ぎ」「受験戦争」と呼ばれる中で戦後民主教育を受けてきている。そして、「新人類」と呼ばれた私たちは「詰め込み教育」の犠牲者であるかのようにいわれ、それを補正するために提唱されたのがゆとり教育ではなかったか。なのに、その結果がこれからあらわれるという時に再び知識重視の教育を声高に叫ぶのはおかしいのではないか。
たとえば「反戦」や「平和」。冷戦下に子ども時代を過ごした私たちは数多くの終末論や破滅的な未来について常に危機感を負わされてきた。明日にでも地球が滅ぶかのように言われて育った世代にとって、「平和」であることがいかにすばらしいことか。
あるいは「バカ」の壁。他人を「バカ」と決めつけることで自分の安心を得る。これこそ「いじめ」の構造と根本でつながるものではないだろうか。
やれ「三無主義」の「しらけ世代」のと言われてきた私たちの世代だからこそ、言えることがあるのではないかと思う。そして、著者はそういった「新人類」世代のひとりとして、昨今の風潮に疑念を抱き、なにか言わずにはおられなかったのではないだろうか。
自立した個人として、流れの中で立ち止まる。本書はそのようなスタンスで書かれたものである。世界の終末を常に意識しながらこの年まで育ってきた私たちだからこそ、「いまどきの『常識』」に危険なものを感じ、警告を発することができるのではないかと思われてならない。
(2005年10月24日読了)