古代地中海世界では、メソポタミア、エジプト、ギリシャ、ローマで多神教が一般的に信仰されていた。しかし、ユダヤ民族による一神教が登場し、様相は一変する。この一神教は果たしてどういう土壌から生まれでたものだろうか。
著者は古代地中海世界の様々な神を紹介し、それらがどのように信仰されてきたかを推察する。そして、古代の人々には神の声が聞こえていた時代があったのだと、それを合理的に解釈しながら導き出す。
ソクラテスは自分の考えを書きとめることはしなかった。それは、口から発せられる言葉の重要性を知っていたからである。しかし、アルファベットの発明など、文化が単純化する中で、神々の声は人には響かなくなる。そして、ヘレニズム時代に文化が融合することにより、神は民族を超えて混ざりあい淘汰され、一神教の土壌がうまれるのである。
なぜ豊穣な多神教の時代から、厳格な一神教の時代に移行していったのか。一神教はどのような人々に必要とされたのか。謎解きが非常にうまく決まっている。
人は、自分に必要な神を生み出す。多神教の神々は民族の歴史に根ざしたもので、その枠組みが崩れていくと、普遍的なものが必要とされるのである。
著者はキリスト教になり得たかもしれない別な一神教を紹介しながら、キリスト教がなぜヨーロッパ文化に浸透していったかを解明する。その推論は強い説得力をもち、思わず首肯してしまうのである。
地中海だけではなく、世界中の全てに普遍的に通用する論であるように思う。長年抱いていた謎が解明されたという感じがしたのである。
(2005年11月25日読了)