バブル崩壊後の不景気の時期に登場した言葉「勝ち組・負け組」に対して、著者は素朴な疑問を抱く。いったい、勝負の規準はなんだったのだろうか、と。そして、本来なら「負け組」であるはずの、「前の時代を引きずっているが、新しい枠組みの時代にもなんとか生き残っており、勝ち組に引っ張ってもらう形になっている」という勝ち組でも負け組でもない層があることを指摘する。さらに、著者は「経済」というものに考察のメスを入れる。「経済」を「循環すること」と位置づけた上で、金銭だけではない「経済」のしくみや、そのしくみが大きく変わっていき、誰もがどうしていいかわからなくなっている現在を「乱世」と考える。そして、この「乱世」のあと、どういう姿勢で生きていくのが望ましいのかを考えていくのである。
帯には「快刀乱麻のビジネス書」とあるが、果たしてそうだろうか。著者は手探りで行きつ戻りつしながら「経済」というものの正体をつかもうとしている。また、現代という時代を「乱世」と位置づけたことにより、その手探りの度合いはさらに強まっていき、混迷も深まっていくように思われるのである。
それがいけないわけではない。読者が著者といっしょになって手探りを続けるように、本書は書かれているのだから。だから、著者が混迷の中、先を見失いそうになりながらも少しずつ結論に近づくというあたりで、読者もその著者の思考をたどりながら自分なりの結論を見つけていくというのが、本書の正しい読み方ではないかと思われるのである。
著者のいう「乱世」では、我々は何をよすがにして生きていくべきなのかが読めない。それを読むためには、手探りでいいからとにかく一から自分で考えることが必要なのだというのが本書のポイントではないかと思われる。それを「考えるヒント」として、著者の思考の順序を読者に体験させているのではなかろうか。
平易に書かれてはいるものの、本書は非常に難解であるのではないかというのが、私の読後感である。それは、著者が本書のテーマとして出してきている「経済」というものの難しさからくるものなのだと思う。それこそ「勝ち組と負け組」などという二元論などでは割り切れないし、割り切ってはいけない現代社会の混迷を指し示すものなのだろう。
(2005年11月30日読了)