タブーを恐れぬドキュメンタリー演出家と無頼の兼業作家が、日本のメディアについて徹底的にその問題点を追及する対談集。その舌鋒の鋭さは、期待に違わぬ内容である。
二人は、テレビの報道番組や大新聞が一人称で語らず、世間を代表しているようにして発言していることを指摘する。しかし、底に流れるのは、叩いてもよいと判断したものに対してのみの弱者いじめであり、権力者に対しては反論もできない弱さであり、それを支持する視聴者や読者であると断言する。記者たちは著者たちと同じものを見聞きしているのに、それを報道はしない。報道ではなく記者クラブへの発表の伝達でしかないのだ。
マスコミの本来の機能は「第四の権力」としての監視力にあるはずなのに、実際は「自主規制」の名のもとに、あらゆる方面からの抗議を恐れ、自縄自縛の状態になっている。北朝鮮や中国のことを言論弾圧の国といいながら、日本はそれ以上に言論を縛りつけているのではないかと疑義を呈するのである。
著者たちは、マスコミがオウム真理教事件以来、社会に目を向けずに「世間」に目を向けるようになったのではないかと指摘している。「自分たち」と「かれら」に線をひき、叩いてもよい「かれら」を作り出す。政治家の放言には、それがいくら差別的なものであっても徹底追及しないのに対し、「世間」から「悪」とされたものに対しては必要以上に叩き続ける。
森氏は「情動」という部分で大切なものが欠落しているのではないかと考え、森巣氏は「論理」がないから現状に対して歯止めがきかないのだと考える。そこが二人の食い違う部分ではあるのだけれど、私は車の両輪であって、どちらも欠かせないものではないかと感じた。
二人とも、声をそろえるように「素朴な疑問でもちゃんと口に出そう」と言う。そうなのだ。おかしいなと思ったら、はっきりと口に出そう。でも、それはとても勇気の要ることだ。その勇気を本書は少しでもくれるように思う。今、メディアがおかしいと少しでも感じる人には、ぜひ本書を薦めたい。何がおかしいのか、それを自分で考えられるようになる第一歩となるだろうと思うからである。
(2005年12月7日読了)