読書感想文


落語娘
永田俊也著
講談社
2005年12月15日第1刷
定価1600円

 女流落語家の三々亭香須美は、大学の落語研究会を出てからあこがれの三松家柿紅に弟子入り志願をするが、3人の内弟子志望者に対して行われた試験に落ちて、異端の落語家三々亭平佐に拾われる。しかし、師匠はまともに稽古もつけてくれず、前座修行も5年を経過した。女だということで席亭や師匠連はおろか後輩から下座三味線の師匠にまで邪険に扱われる。師匠平佐はテレビでの舌禍事件で放送局だけでなく寄席からも仕事がない。大学の落研の後輩で現在はスポーツ紙の記者をしている清水から知らされたのは、平佐がテレビの企画に乗り「呪われた噺」のネタおろしをするという話だった。その噺は明治時代の名人芝川春太郎が作り上げた新作なのだが、書き上げた春太郎はその直後に謎の死をとげ、のちにその噺に挑戦した2人の落語家が同様の死をとげているというしろものだった。寄席から弾き出されようとしている師弟の挑戦は吉と出るか凶と出るか……。
 オール読物新人賞を受賞してデビューした新進作家による寄席を舞台とした物語であるが、弱いところや気になるところが多々あり、ストーリーに没頭できなかった。落語家のネーミングからしてリアリティに欠ける。現実の落語家に重ならないように気をつけたのだろうが、師匠が弟子につける名の慣例まで無視してしまうとなると話は別だろう。入門に際して落語を語らせて試験するというのも現実味がない。入門前に聞きかじりで覚えた落語の腕など何ほどのことがあるだろうか。主人公の師匠の舌禍事件にしても、ビデオ撮りが主流の現在、編集段階でカットすることは可能だろうし、放送局や寄席から一斉に干されるような発言でもないように思う。
 そして、肝心の「呪われた噺」の内容がそれだけのものになっていないというところが非常に残念である。この場合、その落語の内容についてはあえて書かないという方法もあったのではないだろうか。「牛の首」の伝説のように。
 また、主人公が女だからと寄席で虐げられていることと、師匠の「呪われた噺」の挑戦とがうまくかみ合わず、それぞれ別のものとして進行していくのも、せっかくよい題材を扱っているのだから、もったいないところである。
 併録されているのは新人賞受賞作の「ええから加減」である。この短篇は上方の女性漫才の人間模様を描いたものだけれども、「上方演芸大賞」なる賞を受賞したコンビを、いくらなんでも所属事務所が解散させるということがあるだろうか。バラ売りをするという理由は弱すぎる。コンビを組んだままでバラ売りをさせることは上方の漫才ではよくあることである。しかも、その解散が作品の根幹にあるのだから、非常に残念なことだけれども、この部分のリアリティのなさは致命的であるといわねばならない。
 読んでいてつねにまとわりつく違和感は、作者の演芸に対する知識の弱さからくるものかもしれない。例えば安藤鶴夫、藤本義一、難波利三、吉川潮、田中啓文といった作家たちの作品からは演芸や芸人に対する愛や執着が感じられる。残念ながら本書からはそれが伝わってこないのだ。それなのにどうしてこういう難しい題材をとりあげて小説を書こうとするのだろうか。そこらあたりがよくわからない。
 題材は面白いのだから、もっともっとちゃんと取材してリアリティを高めてもらいたかった。その点が非常に残念な作品である。

(2005年12月29日読了)


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