昭和11年、日本で初めてヒマラヤ登頂に挑んだ男たちがいた。立教大学山岳部の堀田、山縣、湯浅、浜野と大阪毎日新聞社の竹節の5名である。本書は、その快挙をもとに描かれた実録小説である。
早稲田などの各大学に遅れて設立された立教大学山岳部は、黒部や槍ヶ岳などの登山経験を経て、ついにヒマラヤ登山を計画するにいたる。しかし、資金不足の中で募金活動もはかどらず、また有力部員が家庭の反対で遠征に加われなくなるなどの障害が彼らの前に立ちふさがる。資金援助をしてくれた毎日新聞では、かつて冬季オリンピックに出場したことのある竹節記者が積極的に彼らの登山を記事にしてとりあげてくれ、なんとか遠征決行の目処が立つ。しかし、浜野の親友である中島は募金活動など事前準備での心労がたたり病の床についてしまう。さらに二・二六事件の勃発で登山という活動に対するまなざしも冷たくなってくる。それでもなんとか決行にこぎつけた登頂隊はついに日本を出国する。目指すは遠き雪嶺、ヒマラヤ処女峰ナンダ・コート……。
本巻では出国するまでの登頂隊の苦労が中心となり、主に浜野隊員の視点から物語が語られる。ただ、本巻の前半は、昭和初期の日本国内における登山の状況や立教大山岳部の沿革などの説明が延々と続き、正直なところ物語に乗り切れない。
しかし、そこを突破してヒマラヤ挑戦が具体化してくると、一気に物語は加速し、ぐいぐいと読み手を引っ張っていく。本巻前半の説明による予備知識がなければ、いかにこの時期にヒマラヤに挑戦するという話が大胆な試みであったかを理解するのは難しいかというのが、話が進む過程でわかってくるのである。
現在でさえヒマラヤ挑戦はやはり冒険であるというのに、装備の問題、外国に行くという経験のなさ、予備知識として入ってくる情報の少なさなど、この当時の事情の悪さは比較にもならないものだっただろう。それでも彼らをヒマラヤに駆り立てたものはなんだったのか。いよいよ本格的に登山にはいる下巻にその答があるのではないかと思われる。
(2006年1月5日読了)