読書感想文


デカルトの密室
瀬名秀明著
新潮社
2005年8月30日第1刷
定価1900円

 ロボット工学者で作家でもある尾形祐輔は、メルボルンで開催されるAIのコンベンションである〈チューリング・プライズ〉に参加する。彼が開発し、心理学者の一ノ瀬玲奈とともに育ててきた人間型ロボットケンイチが、彼の出品する〈作品〉である。その大会に、長年行方不明になっていた天才的な科学者フランシーヌ・オハラが参加していることが大きな話題となっていた。祐輔はフランシーヌとは子どもの頃に衝撃的な出会いをしていた。だから、フランシーヌ本人が、彼女そっくりのロボットとともに現れた時、他の者以上のショックを受けていた。しかも、彼女は彼に対してチューリング・テストを受けるように誘い掛ける。それは、人間がいかに機械らしく振る舞えるかということを試すという、普通のテストとは反対のことを求めるものであった。その誘いを拒否できなかった祐輔は、ゲームに参加することになる。ゲーム終了後、祐輔は何者かに連れ去られ、密室で感覚を狂わされる異様な状況に置かれてしまう。遅れてメルボルンに到着した玲奈とケンイチは、行方不明になった彼を探すが、祐輔そっくりのロボットを発見し、そのロボットの言葉に支配されるようにして〈チューリング・プライズ〉の受賞式の会場に行き、機関銃でフランシーヌを射殺してしまった。フランシーヌが仕掛けた「デカルトの密室」の謎とはなにか。人間にとって、そしてロボットにとっての自己とはなにか。知能とは、存在とは……。
 哲学のテーマである「自己」と「自我」の問題を、ロボット工学を用いて科学的に解き明かそうとする野心的な試み。また、複数の者による一人称をいれかわりたちかわり展開することにより、小説そのものの構造についても、また「物語」というものの持つ意味についても、作者は徹底して問いかける。
 テーマの設定や、登場人物たちの複雑な関係など、非常によく考えられ緻密に構成された物語である。デカルトの「我考える、故に我あり」という命題や物心二元論、またトールキンの「指輪物語」など哲学、文学、そして科学などを突き合わせることにより、アイデンティティが「物語」によって保たれるという興味深い見解を引き出している。
 ただ、どうしても気になるのは、論議の多さである。質問の絶えまない投げかけ、それに対する回答から導き出される新たな質問、誘導するように仕掛けられる質問。それは確かにこの物語を進めていくのに必要なものであるだろう。そして、作者はその論議を推進力として物語を動かすことに成功してはいる。しかし、そうすることにより物語そのものの持つ楽しみを生み出すところまで達していないように感じるのである。
 さらに贅沢をいえば、宗教や心理学などからのアプローチがもう少しあってもよかったのではないだろうかと思う。そもそも現在は哲学的な問いかけ自体、現代思想の洗礼を浴びてしまって機能を果たしていないという状況もある。
 作者がもっとも関心を抱いているAI関係の論議を完璧にしようとすると、どうしても他の分野に割くだけの内容は盛り込めないだろう。作者の科学者的な側面が学際的なアプローチの幅を狭めているように感じられてならないのである。

(2006年1月8日読了)


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