1070年代から80年代初頭にかけて、読売新聞大阪本社社会部で活躍したジャーナリスト、黒田清。権力におもねらず、常に社会的弱者の声をとりあげた紙面作りは、全国的にも高い評価を受けるようになった。しかし、読売新聞社は渡辺恒雄主筆のもと中曽根政権と一体化し、大阪本社の社長も東京本社の顔色をうかがうようになる。そして、「戦争展」や連載コラム「窓」などの企画に対し、冷たい姿勢をとるようになる。さらに、黒田や彼とともに活躍する大谷昭宏たちに対しても、その扱いが厳しくなっていく。読売新聞社を辞職した黒田と大谷は「黒田ジャーナル」を立ち上げ、「窓」の読者たちとともにミニコミ新聞を発行し、草の根のような活動を始める。阪神淡路大震災などで他のジャーナリストには真似のできない被災者とも共感できる取材姿勢は、さらに多くの支持者を増やす。しかし、黒田の体は本人の知らぬ間に病魔に襲われようとしていたのであった……。
私は読売新聞を読んだことがなかったが、「日刊スポーツ」に「ぶっちゃけジャーナル」という連載が始まり、黒田清という人物の存在を知った。タイトルが「ニュースらいだー」と変わったあとも、休刊日には駅まで即売版を買いに走ってまでして毎日読み続けた。毎日毎日、様々なニュースから身辺雑記まで、その連載から私はいろいろなことを教わったように思う。その黒田清の本格的な伝記である。
大新聞社に所属しながら、どうして読者、特に社会的弱者の視点で記事を書き続けることができたのか。黒田氏本人の著書だけでは語られない部分も含めて、著者はその幼少時から学生時代、そして入社してからの状況を様々なエピソードを綴ることによってその理由を明らかにしていく。
会社の中で次第に干されていく様子や、独立してから特に強まった反骨精神のありさま、そしてガンと戦いながらも記事を書く最期まで、黒田氏が一貫して「近所のおっちゃんがいじめられている弱いものの味方」であったことが示されていく。
まだ死後5年という段階で書かれたものだけに、感傷的になってしまうのはやむを得まい。著者は伝記を書くことにより、黒田清というジャーナリストを読者の記憶に少しでも長くとどめさせ、生き長らえるようにしたいと考えたのに違いないだろう。
それは成功していると、私は思う。
(2006年1月10日読了)