第10回日本ホラー大賞短篇賞を受賞した表題作を含む2編を収録。
霊媒のシシィに使われている少年ジュンの役割は、悪霊をいったん自分の体に受け入れ、そこからシシィがその霊を取り出すというもの。シシィの弟リョウが受けた仕事をこなすだけで、体は動かず、外に遊びにいくという事もない。体を動かす事は霊媒の能力を落すといわれ禁じられているのだ。ジュンは白い部屋を心に思い描き、そこに霊を呼び込む。瀕死の状態の少女エリカの霊を白い部屋に呼び込んだジュンは、これまでの怨みや苦悩に満ちた霊とは違うものを感じる。彼女はジュンに初めて喜びの感情を吹き込んだのだ。エリカに恋をしたジュンは、エリカの残像を白い部屋に残すようになり、除霊に失敗してしまう。その事を知ったシシィは……(「白い部屋で月の歌を」)。不倫のつけを左遷という形で払う事になった雅彦は、妻の晶子とともに地方の小さな町に転居する。その町の人々は不思議に親切で、自分たちを世界で一番幸福な町に住んでいると自慢する。仕事も忙しくなくなり、妻の過呼吸の発作も出なくなった雅彦は、早朝のジョギングなどを始めて新しい生活を作り始める。ジョギングコースの林の中にある広場にそびえたつ不思議な鉄柱を発見した雅彦は、ある日そこで老婦人が自殺しているのを発見する。しかし、町の人々はその死に対してなぜか悲しみを見せず、通夜の席でも奇妙な陽気さを雅彦たちに見せる。雅彦は職場の同僚からその自殺の真実について知らされる。それは、全てに満足した人間がそ満足の思いを残している間に自殺する「満足死」という風習だった。そして、雅彦はこの町出身のミュージシャンの「満足死」に立ち合う事を要求され……(「鉄柱」)。
いわゆる「ぞっとする」怖さや、「邪悪」な意志が強調されないのが作者のカラーということなのだろうか。喜びと表裏一体になっている悲劇、しかもそれはちょっと視点をずらすことによってあらわになる。そして、その異常事態を日常として受け入れていくという恐ろしさが、本書の収録作にこめられている。ホラーとしては異色の作風というべきかもしれない。
ただ、ストーリー展開は非常に素直で、読んでいるうちにラストがほぼ見えてしまうのが、少し食い足りない部分である。物語としてきれいに完結しているのはいいのだが、ホラーの場合は多少荒削りであっても、そこから生じる違和感やざらつきというものが効果を発揮するように、私には思われる。
そういう点では、作者は本質的には優しい人なのであろう。ホラーよりも少し不思議な現代ファンタジーという色合いの作風がこれら初期作品には感じられるのだ。逆にいうと、だからこそ直木賞という方向に作者が向かっていったのだと思う。邪悪でえげつないホラーに対しては、いくら小説がうまく書けていても、拒否感を示す人は意外に多いものなのである。
(2006年1月24日読了)