オゾンホールを広げるフロンの分解を防ぐ物質ウェアジゾンが発明された。発明したのはテレサ・クライトン博士とそのグループであった。国連主導でウェアジゾン散布が実施される。しかし、ウェアジゾンはフロント結合して無害化するだけではなく、大きな副作用をもっていた。それは、光の波長のうち、赤い色をとどかさせられなくなるという作用、そして人々の前から夕焼けや朝焼けが奪われてしまうというものであった。夕焼けを奪うウェアジゾン散布に反対する自殺者が現れ、それは全世界で反対運動が起きる契機ともなった。テレサ博士は日本でのウェアジゾン散布に立ち合うために来日する。彼女には24時間護衛がつくことになっていた。それは、イエスタディと名乗るテロリストが殺害予告を発していたからだ。しかし、テレサは護衛の目をかすめて一人でホテルから抜け出る。どうしても横浜に行かなければならない秘密の用件があったのだ。日本語も知らない彼女が途方にくれているのを助けたのは、やはり横浜に一人で行こうとしている小学生のトモルであった。老女と少年の不思議な二人旅が始まる。その影で二人のあとをつける男がいることも知らずに……。
なんとなくSF的な雰囲気で始まるのだけれど、光のうちの赤の波長が散らされたら夕焼けどころではなく、可視光線全体がおかしくなってしまうのではないか。そう思った段階でひっかかってしまった。おそらくは夕焼けがなくなることに対する抵抗も起こるだろう。しかし、ここまで執拗に反対運動が起きるだろうかというところでひっかかった。夕焼けがなくなるのと移動性のオゾンホールの出現で紫外線の直接照射が明日にでも自分たちの町に起こると考えたら、夕焼けどころの騒ぎではないのだ。老女と少年と謎の男との交流には読ませるものがあるけれど、前提となる設定に説得力がないと、物語に入りこんでいけない。
しかも、最後に描かれるウェアジゾンのもう一つの副作用というものが、ウェアジゾンという物質がどのように働いたらそんなことが起こるのかと、怒りはしないまでも首をかしげざるを得ないものなので、一気に興醒めしてしまった。
たぶん、SFを読み慣れた目で読んではいけないファンタジーなのだろう。夕焼けや朝焼けに何の思い入れもない私などは、作者がどうしてここまでこだわるのかも理解できなかった。確かに夕焼けがなくなるというアイデアは、人の琴線に触れるものを含むのかもしれないが。そのアイデアを具体化するために科学的な説明を使用する必然性があったかどうかというところだろう。最後に完全にファンタスティックな場面を入れるのであれば、設定そのものもファンタジーにしてしまった方がよかったのではないだろうか。
(2006年2月4日読了)