読書感想文


手塚治虫=ストーリーマンガの起源
竹内一郎著
講談社選書メチエ
2006年2月10日第1刷
定価1600円

 手塚治虫がマンガに映画的手法を用い、悲劇的な結末を子どもマンガの世界に取り入れ、ストーリーマンガというジャンルを開拓した。著者は、手塚に先行する漫画家が手塚にどのような影響を与えたか、また手塚マンガにおける歌舞伎や立川文庫の影響など、従来の手塚治虫論に欠けていた視点を盛り込み、ストーリーマンガの起源を探っている。
 マンガに映画的手法を取り入れたのは手塚治虫が初めてではない。しかし、その手法を他の漫画家も取り入れ、表現の幅を広げたのは手塚の功績だと、著者は説く。なによりも、手塚治虫のセンスのよさが、後続の漫画家をしてその手本とさせたのだ、と。そして、手塚の偉大なところは、新たなマンガが人気を得ると、その手法を自分も取り入れ、新たな地平を切り開いたことにあるという。「物語」を生み出す力においては抜群のものをもっていた手塚が、劇画的な表現などを身につければ、「物語」は弱いが表現は新しい漫画家は太刀打ちできなくなってしまう。
 三遊亭圓朝にはじまる落語速記からうまれた大衆文芸の末裔として、著者はストーリーマンガを位置付ける。だから、もし手塚治虫がいなくても、それにかわってストーリーマンガを生み出すものはいただろうと考えている。ただ、そういう大衆文芸という土壌があり、戦後という新しい時代を迎えたところに手塚治虫はみごとなまでにタイミングよく現れたのだ。もし手塚治虫が違う時代に、あるいは違う国に産まれていたら、私たちの知っているような「マンガの神様」になってはいなかっただろう。しかし、天の時、地の利が手塚治虫という人物を求めており、歴史の要請以上の仕事を成し遂げたのだということだろう。
 多彩な文化の中にマンガをどのように位置づけていくかというような視点での手塚研究は、確かにこれまでなかったものであり、その論の展開にも説得力がある。そういう意味では非常に優れた手塚治虫論であり、マンガ研究である。
 ただ、著者はまえがきやあとがきに「これまでのマンガ評論はマンガへのラブレターに過ぎないものであり、本格的な研究はなかった」と断定し、本書こそが日本初の本格的なマンガ評論だと大見得を切っている。この部分だけはひっかかるのである。例えば、漫画家からのアプローチとして夏目房之介の漫画論は独自の地位を築いているし、村上知彦は編集者としてのアプローチという形で優れた評論をものしている。それは、著者の目指すものとは方向性は違うかもしれないけれど、私はそれぞれが本格的な評論だと思っている。劇作家であり、マンガ原作も手がけている著者にはそれなりの自負はあるのだろうけれど。確かに本書は優れたマンガ評論であり、これまで誰もしてこなかってことに関する指摘もあるが、著者が大見得を切るほど画期的なものだとまでは私には思えないのだけれども。

(2006年2月19日読了)


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