倫理観が問われる現代社会で、宗教が果たす役割とは何か。著者は「葬式仏教」と揶揄される現在の仏教は、「葬式仏教」だからこそできる役割があると説く。もともと原始仏教は、個人の解脱を目標として完結していたものであったのが、「大乗」と呼ばれる衆生救済を視野にいれたものとなった時に、矛盾を生じるようになったと著者は考える。「他者」を視野にいれたがために、「人間」という人と人との間の関係を律する「倫理」に踏み込まざるを得なくなったのである。
著者は、仏教の日本的な変容をたどり、さらに神道の宗教としての側面と非宗教としての側面を見直し、西洋哲学とキリスト今日の抱える矛盾を明らかにしていく。そして、「倫理」や「道徳」に欠けているのは「死者という他者」との向きあい方であると指摘する。
著者がここで強調する「死者」は、生者の記憶の中の「死者」だけを指すものではなく、現在にいたる人間の文化や文明、歴史を築き上げてきたもろもろのものである。「死者」に安らかに眠ってもらうのではなく、死者がその死をもって訴えかけてくる言葉に真摯に耳を傾けるべきだと主張するのである。そして、「倫理」や「哲学」はそうした「死者」の言葉に向き合うことができないが、「宗教」はそれができるために「超・倫理」というべき力を持ち得ると考えるのである。
近代合理主義によって育てられた私には、どうしても著者のいう「死者」の概念がつかみきれなかったといううらみはあるのだが、現在の宗教が本来の意味を見失っているのではないかという疑念は、本書によってその理由などが明らかになったように思う。私たちはどうあがいても利己的であり、身近な関係でしか物事をとらえることはできない。それを肯定した上で、ではそのような私たちにどのようなことができるのか、あるいはどのようなことをすべきかを本書は示唆してくれるのである。それは、理想主義的な「倫理」や「道徳」では解決できないのである。「宗教」の存在意義というものを考えることのできる一冊である。
(2006年3月2日読了)