読書感想文


脳髄工場
小林泰三著
角川ホラー文庫
2006年3月10日第1刷
定価590円

 書下ろしの表題作を含む11編が収録されたホラーSFの短篇集。
 「脳髄工場」では、人間の感情のコントロールを目的に人工脳髄を埋め込むことが一般化している時代に、自由意思を貫きたいと願う少年が少数派としての苦痛を味わい、とうとう人工脳髄を埋め込むことを決意するが、そのために行った工場でショッキングなものを見てしまう……。「友達」ではいじめられっ子が作り出したもう一人の理想的な人格との葛藤が描かれ、「影の国」は、存在感の薄いクライアントとのカウンセリングの記録映像を見たカウンセラーの記述を通じて、人間の存在の本質に迫る。「C市」はクトゥルーに対する最強兵器を作り出したはずの科学者たちへの強烈なしっぺ返しが描かれ、「綺麗な子」ではペットや子どもまでも人工物で代用するようになった世界の哀しい結末が語られる。「タルトはいかが?」は特殊なクッキーを食べないと生きられなくなった女性の顛末を描く新たな吸血譚である。その他、オーソドックスなタイプのショートショートである「停留所まで」「同窓会」「声」「アルデバランから来た男」「写真」が収められる。
 表題作「脳髄工場」が白眉である。人工脳髄を埋め込む描写のえげつなさとは裏腹に、テーマは非常に冷静に「人格」というものに対する鋭い考察がなされている。自分の意思というけれども、社会の中で本当に自分の自由な意思というものは存在し得るのかという重いテーマが少年の心理的葛藤を通じてリアルに描き出されていく。他の短篇ももちろん作者の持ち味の生かされた「自分という存在」を根底から揺らがせる秀作ではあるのだが、「脳髄工場」のインパクトの前には少し影が薄くなってしまったのが残念だ。
 5編のショートショートを読み、作者のストーリーとアイデアの軸は実はオーソドックスなものであることが明らかになったように感じた。そこに邪悪さと現実という事象の揺らぎの大きさが肉付けされ、幻想と恐怖と理論がかみあった中短篇になっていくのだ。
 作者の本領を遺憾なく発揮した作品集である。

(2006年3月19日読了)


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