日本は「神の国」であった。が、同時に「仏の国」でもあった。神仏習合の風習が明治政府により強引に終らせられて、神と仏は切り離された。以来、「神国日本」はナショナリズム養成の具にさせられたのである。しかし、中世、「神国日本」を主張した人々は「日本は東土から遠く隔たった辺境の地である」という前提のもとに、「天竺や中国との違いは、仏が神の姿でこの地に降りてきていることである」という「本地垂迹説」をとなえたことにある。つまり、そこで訴えられる差別化は日本が他の国よりも勝っているというような単純なナショナリズムではなく、仏の土地から離れているが故に神を必要としている国なのだという二律背反のナショナリズムであったのだ。
著者は歴史をひもとき、イデオロギーに左右されることなく「神国日本」という概念の本質を明らかにしようとする。そこにあるのは、「神国」という概念に対する学問的な好奇心である。だが、著者が解き明かそうとしたことは、日本の風土や思想の根本を解明し、明治以降に人工的に作られたナショナリズムに対する異議の申し立てになるであろう。
逆にいえば、本書で明らかにされた概念は、ナショナリズムとは何かということを考えるよい材料となっているのではないだろうか。
日本という国を神祇という視点から見つめなおした好著である。
(2006年5月23日読了)