最近「ユダの福音書」が発見されたと話題になったが、本書はそれとは全く関係なく構想されたものであることを先に書いておきたい。
ユダ……それは裏切り者の代名詞である。銀貨30枚わ代価に師イエスをユダヤ教の旧勢力に売り渡し、そこからイエスの磔刑へと事態が進んでいったのである。本書は、多くの画家に描かれたユダの肖像や図像から、ユダがキリスト教会においてどのように扱われてきたか、それが近代以降の画家によってどのようにその存在の解釈が変化していったかを探る。
さらに、ドストエフスキーや芥川龍之介などの作家たちがユダの物語をどう紡いできたか。また旧約聖書やギリシャ神話、ゲルマン神話などにみられるユダ的なものの祖型を多くとりあげ、ユダが組み込まれていたと思われる「運命」について考察する。
著者の解釈も最後にはあげられる。ユダは裏切ったのではなく、イエスの受難の後にそのスケープゴートに仕立て上げられたのではないかという類推である。ユダはあくまでも磔刑の折にイエスのもとから去っていった使徒たちが、復活の噂のおかげで再集結した時に、イエスを裏切った者の象徴とされ、使徒たちはユダを免罪符にして自分たちのした「裏切り」をなかったことにしたかったのではないか。これは全く根拠のない憶測ではなく、聖書の記述などから導き出した類推である。
本書を読み進むうちに、私はイエスもまたユダと同様「善」を象徴するために作られた救世主なのではないかとさえ感じるようになった。イエスの行動にはユダと同じく祖型がある。イエスという異端の宗教家を正当化するために、旧約聖書などに出てくる物語を後からあてはめたのではないのか、と。
本書で検証されるユダの姿に、正解はない。あまりにも唐突に現れ、重要な役割を果たしたあと首を吊ってしまい舞台から消え去るのがユダなのだ。人物像を描き出そうにも材料に乏しいといわねばなるまい。著者はそのような状況から、新しいユダ像を浮き彫りにしていく。
教典や神話、伝説というものの役割を、ユダという人物を通じて明らかにしていく好著である。
(2006年6月29日読了)